お笑いトリオ「ぱーてぃーちゃん」という名前で活躍している中の1人、信子さん。
どのような経緯があってトリオで活動するようになったのでしょうか。
今回は信子さんの生い立ちについて取り上げていきます!
ぱーてぃーちゃん信子のプロフィール
名前 | 信子(のぶこ) |
誕生日 | 1992年8月1日 |
年齢 | 32歳(2024年8月時点) |
血液型 | 非公開 |
身長 | 非公開 |
出身 | 大阪府堺市 |
所属事務所 | ワタナベエンターテインメント |
家族構成 | 父、母、信子さん、妹 |
信子さんの実家はかなりお金ちの噂や徳川家の末裔(子孫)であるとかないとか。
単なる噂かもしれませんが、そのような人がなぜお笑い芸人になったのでしょうか。
かなり興味深いですね。
ぱーてぃーちゃん信子の生い立ち
それでは、信子さんの生い立ち見ていきましょう!
信子は徳川家の末裔なのか?
まず初めに信子さんは徳川家の末裔かどうかですが、
それに対し信子は「お金持ちっていうくくりにしてほしくないっていうか。ウチ、徳川家康の末裔だから家紋が入った甲冑(かっちゅう)とかあったんですよ。博物館に贈呈できるものがあるのかっていう話」
引用:日刊スポーツ
と過去のテレビ番組(さんまのお笑い向上委員会)で信子さんが発言しています。
信子さんの本名は「大野信子」(旧姓→信貴)さんですが、父親のおばあちゃんまで徳川という名字だったそうです。おばあちゃんが嫁入りした為、苗字が変わりました。
これが本当の話ならすごいですね!
信子さんの父親
信子さんの父親は、徳川家を継いでほしいとなっていたはずがやりたいことがある為、徳川家を追い出されたそうです。
それなら言わせて。ウチのお父さんも勘当されたの。徳川家から追い出されたけど
引用:日刊スポーツ
信子さんのお父さんは不動産会社を経営していました。しかも、自分の力で33億円の家を建てました。
“33億円の実家”の大きさについて「家の中を車で移動していました」と明かした。さらに「庭で迷子になって、庭師さんに助けてもらったのを覚えている」と告白。「庭がジャングルみたいなのがあった。そこに遊びに行ったら出られなくなっちゃった。母屋と離れがあって、庭師さんに母屋に連れて行ってもらった」と話した。
引用:スポニチ
地元ではかなり有名な家だったそうで、信子さんの姓と城を伝えるとタクシーの運転手はその実家にたどり着けてしまいます。
かなり大きい家だったことが分かりますね。
信子の幼少期
信子さんの出身は大阪府堺市ですが、3歳ごろに父親の事業の関係で大分県大分市に引っ越しをしています。
大阪で生まれ、父親の事業の関係で3歳で大分に引っ越した。大阪に“33億円の実家”を持ちながら、大分の家で育ったという。
引用:スポニチ
保育園や幼稚園の情報は無かったです。
信子さんの小学校は、
大分市立金池小学校か大分市立長浜小学校
公表されておらず、この2校のどちらかではないかとの事です。
小学校の頃の信子さんは運動神経がよく、小学校の頃にジュニアオリンピックに出場しました。
小学生の時、陸上ジュニアオリンピック出場経験を持つ信子
引用:スポーツ報知
すごいですね!
またお金持ちはお金持ちならではの悩みがあったそうで、小学校に子供がもらうお年玉は周りのお友達は3000円などそこまで高くない金額でしたが、信子さんはなんと50万円でした。信子さんはその事をお友達には言えず、ずっと隠していたそうです。その他にも、クリスマスプレゼントは欲しい物は全て買ってもらえるのでその事も言えなかったと信子さんは語っています。
確かに、お友達と話が合わないと困りますね。
信子の中学時代
信子さんの中学校は
大分市立上野ヶ丘中学校
でした。
大分市立上野ヶ丘中学校卒業。
引用:Wikipedia
信子さんが今の芸風のような、いわゆる「ギャル」に目覚めたのは中学時代の頃からで小学校6年生の春休みに髪の毛を金色に染めて中学デビューをしたそうです。
ただやはり運動神経は良かったため、中学では陸上部に所属していました。走り幅跳び、砲丸投げ、リレー県大会優勝しています。そして中学3年生の時には部員の多数決で満場一致でキャプテンをするほどのリーダーシップもありました。そのため地方大会当日に選手代表として選手宣誓を行った経験もあるといいます。
お笑い好きだった
中学の頃からお笑いが大好きだったという信子さん。
「毎週土曜日の午後に放送されていた『吉本新喜劇』です。当時土曜日は午前中だけ授業があって。学校終わりに配られていたオレンジジュースの紙パックを握りしめながら猛ダッシュで帰宅して、テレビの前にスタンバイ。お笑いは子どもの頃からずっと好きでしたね」
引用:edit oita
この頃から興味があったんですね!
信子の高校時代
信子さんの高校は
大分県大分南高等学校
でしたが、早期に中退しています。部活動も帰宅部でした。
中退した後は地元でフリーターをしていたそうです。
信子、上京する
信子さんは高校を中退しているので大学には進学していません。18歳の頃に上京しています。
お笑い芸人を目指したきっかけが、
18歳で「なんか暇だな」と思いたち上京。しばらくBARや星付きレストラン、アパレルショップなどで働き、22歳でワイン修行のために渡仏しようか迷っていたとき、「日本で最後にやり残したことない?」と考え、『お笑い芸人だ!』とひらめいたそう。
引用:edit oita
またお笑い芸人はがん細胞を少なくすると番組で見た事がお笑い芸人になるきっかけの一つだとインタビューで話していました。
なかなか面白い発想ですね。
他にも、
「南海キャンディーズの山ちゃん(山里亮太)がずっと私の目標で。『M-1グランプリ2004』の決勝戦を見て、なんだか新しいお笑いをやっている! ツッコミかっこいいな」と衝撃を受けたんです。
引用:edit oita
しかし「ぱーてぃーちゃん」を結成した途端、リーダーもツッコミも向いていないと言われたそうです。
と数々の理由から2016年に本格的にお笑い芸人になるためにワタナベコメディスクール(WCS)に24期生として入所しました。
「エンプぷレス」結成
信子さんはぱーてぃーちゃんとして活動する前に「エンぷレス」というコンビを金子きょんちぃさんと組みました。
しかし、お互い最初から一緒にコンビを組みつもりはありませんでした。その理由が
信子さんは元々ピン芸人志望
金子きょんちぃさんはちゃんとしたお笑いがしたかったため普通の男の人とコンビを組みたかったそうです。
ただこの2人は養成所のクラスが一緒で毎日遊びに行くほど仲が良かったです。
コンビを組んだきっかけは、最初はお互い別々の人と組んでいたが、たまたま2人が組んでいた人と解散という形になり「とりあえず一緒にやろうよ。」という事になりました。
これが当時の映像です。
「ぱーてぃーちゃん」を見慣れているので、2人なのが違和感を感じますね。
「ぱーてぃーちゃん」結成
そして2021年にすがちゃん最高No.1さんが加入し、ついに「ぱーてぃーちゃん」を結成しました。
ぱーてぃーちゃんを結成したきっかけは
俺が前のコンビを解散した時に開いた『相方を見つけるライブ』で『エンぷレス』とネタをしたんですけど、周りから絶対に組んだほうがいいと言ってもらえて、トリオを結成しました。
引用:VoCE
結成当初は信子さんがリーダーだったのですがわずか8分でクビになったそうです。
リーダーになった理由も、すがちゃんはネタを書いたりする、きょんちぃはYouTubeとか事務的なことをする、信子は役割ねえからリーダーでいっか!って(笑)。8分なれただけでも光栄です♡
引用:VoCE
その8分間の間で何があったのでしょうか。
しかし2024年度のリーダーはなんとじゃんけんで決め、信子さんに決定したとの事です。
これからどんな「ぱーてぃーちゃん」になるのか逆に楽しみですね!
まとめ
信子さんの生い立ちについてまとめました。
- 信子さんは徳川家の末裔の可能性が高い
- 信子さんの父親は不動産経営をしており、大阪に33億円の家を建てている
- 3歳の頃大分県大分市に引っ越しした
- 小学校の時、陸上ジュニアオリンピックに出場した
- 小学生の時、お年玉が50万円そしてクリスマスプレゼントは何でも買ってもらった
- 最初金子きょんちぃさんと「エンプぷレス」というコンビを組んだ
- その後すがちゃん最高No.1さんが加わり「ぱーてぃーちゃん」というトリオを組んだ
ということが分かりました。
これからどんどんテレビに出演することが多くなっていくことでしょう。
すごく楽しみですね!
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