お笑い芸人として日本でブレイクを果たし、現在は海外でも大活躍中の渡辺直美(わたなべ なおみ)さん。
Instagramでもフォロワーの数が常に上位に入っており、若い世代にもとても人気があるようです。
今回はそんな渡辺直美さんの生い立ちについて取り上げます。
渡辺直美のプロフィール
名前 | 渡辺直美(わたなべ なおみ) |
誕生日 | 1987年10月23日 |
年齢 | 36歳 |
血液型 | A型 |
身長 | 158cm |
出身 | 台湾・台北県板橋市(現:親北市板橋区) |
所属事務所 | 吉本興業 |
家族構成 | 父、母、渡辺さん |
渡辺直美さんは子供のころ、ひどいいじめを受けていたりお母さんが少し変わった方だったり、過去に色々苦労があったそうです。
そのあたりも深掘りしていきます。
渡辺直美の生い立ち
それでは、渡辺直美さんの生い立ちを見ていきましょう!
渡辺直美の両親
渡辺直美さんは日本人のお父さんと台湾人のお母さんなのでハーフです。
渡辺直美さんも台湾で生まれています。
しかし、渡辺直美さんが幼い頃に両親は離婚しています。
母親が台湾人なので、幼少期の頃から母の里帰りの度に台湾と日本を行ったり来たりしていて。本当に頻繁に行き来していたのは小学校6年生くらいまでかな…。
引用:Numero
渡辺直美さんの母親
渡辺直美さんの母親は一般人の方のため詳しい情報は載っていませんでした。
離婚した後は母親と一緒に茨木県に移住しました。
しかし、渡辺直美さんの母親が台湾出身のために日本語が分からなかった為、渡辺直美さん自身も18歳で芸能界デビューしてからも2〜3年間は日本語が上手く使えなかったといいます。
また渡辺直美さんの母親は日本語が話せない以外にも強烈なキャラクターでした。
- 渡辺直美さんのことを「テメェ」と呼んでいた
- パチンコで生計を立てていた
- ホットケーキの粉を麻薬だと勘違い
- 突然坊主頭にする
などといった面白いエピソードがたくさんあります。
詳しく知りたい方はこちらの記事をご覧ください↓
渡辺直美の幼少期
渡辺直美さんの出身保育園や幼稚園の情報が出てきませんでした。
渡辺直美さんの出身小学校は
石岡市立東小学校
でした。
茨城県石岡市の観光大使に選ばれた時にネットにて小学校と中学校ともに記載がありました。
渡辺さんは、市立東小学校、石岡中学校 を卒業
引用:広報 いしおか
渡辺直美さんはインタビューで幼少期の頃をこのように語っています。
自分の意見を殺すタイプでしたね。言ったら怒られるんじゃないか? ダメなんじゃないか?って思っていて、結構まわりの言いなりに近い感じだったなと
引用:numero
小学生の頃は、仲が良い友達の前だとモノマネをしたりしていたそうですが、段々それもしなくなったとのこと。
周りの目が気にならない小学生の頃は替え歌とかもみんなでやったり。でも、大きくなるにつれてそういうのがダメなんじゃないかって思うようになって
引用:numero
すごく周りの目を気にするような子供だったのでしょうか。
また渡辺直美さんは0〜3歳に覚えないといけない言葉を母親が台湾の方だったためなのか、覚えていなかったらしく、学生時代に先生の言っている事が深く理解できなかったそうです。
質問と答えが噛み合わなかったり友達からも「何言っちゃってるの?」のような顔をされたりしたことがトラウマとなり、勉強を避けるようになりました。
渡辺直美の中学校時代
渡辺直美さんの中学校は
石岡市立石岡中学校
でした。
中学時代は、バレー部に所属しており部長をしていました。
「サボり魔だったから『直美先輩から教わったことは、どれだけサボるか教えていただきました』。激ヤバな部長だよね」と自虐していた。
引用:ENCOUNT
渡辺直美さんがキャプテンだと面白そうですね。
また浜崎あゆみさんのモノマネなどをして担任の先生やクラスの人達を笑わせていました。
いじめられていた中学時代
渡辺直美さんは中学1年生の時にいじめにあっていました。
原因は「好きな人が同じ」「名前の呼び方が気に入らない」というささいなこと。男子にもすぐ無視や悪口の輪が広がり「帰り道に待ち伏せして髪の毛全部抜いてやろうか」と脅されたり、上履きに「死ね」と書かれたりしたことも。いつまで続くか分からず学校も休みがちになった。「死にたい」とも考えた。
引用:zakzak
しかし渡辺直美さんがあったいじめはクラス全員からのいじめではなく、特定のグループからだったそうです。
そのため、中学2年生にクラス替えがあり、そのグループと離れいじめは無くなりました。
しかし、このイジメがあったことにより渡辺直美さんがお笑い芸人を目指す事になりました。
渡辺直美さんのお笑い芸人への原点
いじめにより、芸人を目指す事になった理由は、
シングルマザーで夜遅くまで働く母を心配させたくなくて打ち明けられず、学校でも家でも孤独で苦しかった。そんな時、現実を忘れさせてくれたのがテレビのお笑い番組。「いつか私も人を楽しませたい」。それが芸人の原点となった。
引用:zakzak
渡辺直美さんにとっていじめはかなり辛く「人間不信になった」と語るほどです。しかし、このいじめがないともしかしたらお笑い芸人を目指していなかったのかも知れません。
渡辺直美の高校・大学時代
渡辺直美さんは高校・大学は行っていません。
高校を3校受験するも全て落ちてしまいました。そ
の理由が、この頃もお金が無く、三角定規やコンパスなど買ってもらえず全部指で長さを決めたり計算したら落ちてしまったそうです。
「高校受験に失敗して、3校受けて全部落ちた。滑り止めも全部落ちて、スベッていきました」と高校受験失敗を打ち明けた際にも、「なんでかなと思ったんですけど、お金がなくて定規とかコンパスとか授業で必要なのに買ってもらえなくて、全部指で計算したり長さ決めてたりしたら落ちたました」と貧乏が影響していたことを明かした。
引用:マイナビニュース
中学時代からお笑い芸人になる事を決めていた渡辺直美さん。
中学の卒業式の次の日にはファミレスの面接に行きました。
「とにかく仕事がしたかったんです。お小遣いももらっていなかったし、お金を稼ぎたくて──。ファミレスに3年勤めたんです。時給700円で月給12万円くらい超働いて、1年後には高校3年の先輩がいなくなり、私が必然的にバイトリーダーになって。いま思うと、当時学んだことが今すごく役立っているんですよ」
引用:numero
貯めたお金で、お笑い養成所に行きました。
しかし渡辺直美さんが将来お笑い芸人になることをお母さんをはじめ親戚中が大反対したそうです。
だからお笑い芸人になりたいって言うのもずっと怖かったんですよ」と告白。意を決して伝えたところ、「ずっと反対ですね。“テレビに出てる人たちは一部の人達だから相当努力しないとあそこにはいけないから、お前には無理じゃないか”みたいな。
引用:スポニチ
しかし、今の渡辺直美さんの活躍ぶりはお母さんも認めざる得ないのでは無いのでしょうか。
こうして反対をされていた渡辺直美さんですが家出をし、無理やりNSC東京校に進学しました。
そしてNSC東京校を卒業後、若手芸人を発掘するオーディションに参加しました。
若手芸人を発掘する公開オーディションでビヨンセのネタを披露したところ、見に来ていたお笑い芸人の今田耕司さんの目に留まります。
引用:grape
今田耕司さんの後押しもあり、トークバラエティ番組『さんまのまんま』の年始特番に出演。
これをきっかけにTVの仕事が増えていき、2か月後にはバラエティ番組『笑っていいとも』のアシスタントグループ『いいとも少女隊』に抜擢。
それから2年間、いいとも少女隊の1人として活躍しました。
すごく順調そうに見える渡辺直美さんですが、NSC東京校を卒業して3年間は非常に辛い日々を送っていました。
日本と台湾を行き来する子ども時代をおくった渡辺直美さん。帰国子女やハーフに多いといわれる、母語を確立できていない『ダブルリミテッド』という状態で、日本語を使いこなせないコンプレックスがありました。特に大喜利や掛け合いのようなトークが苦手で、いつもうまく対応できずとても悩んでいたとのこと。
引用:grapu
その後、大阪で『よしもと新喜劇』に1年間レギュラー出演し、バラエティ番組『ピカルの定理』でコントの経験を積んだことで、少しずつ芸人としての自信をつけていきました。
NY留学
渡辺直美さんは、2014年5月から3ヶ月ニューヨークに留学しました。
2013年の9月にレギュラー番組であったバラエティ番組『ピカルの定理』が終了、翌年の3月には『笑っていいとも!』の放送も終了し、スケジュールに余裕ができたため「アメリカ留学したい!」と事務所に告げた渡辺。当初は「帰って来たら仕事はないと思え」と反対されたものの、意思を貫き3ヵ月間のNY留学を敢行したと振り返った。
引用:東洋経済
渡辺直美さんが留学したきっかけは、調べると2つありました。
一つ目は、ウィル・スミスさんです。
留学のきっかけは、以前『笑っていいとも!』にハリウッド俳優のウィル・スミスがゲスト出演した際、「直美! 今すぐアメリカに来い! お前のビヨンセ、マジいけてるからアメリカに来い!」と熱烈な誘いを受けたことからだという。数年後、まだ日本を飛び出せずにいたところ、再び来日したウィルから「お前なんでまだいるんだよ!!」と怒られてしまったと語った。
引用:クランクイン
あのウィル・スミスにそこまで言わせられる渡辺直美さんはすごいですね!
二つ目は、オリエンタルラジオの中田敦彦さんです。
長所がいっぱいあるんだから、短所をどうにかするんじゃなくて長所を誰も追いつけないほど伸ばせばいい」といわれたことをきっかけに、自分の武器である『表現力』を学ぶため、NY留学を決めます。
引用:grapu
このお二人の言葉があり、渡辺直美さんは留学することを決めます。
そして3ヶ月間の間、「表現力」について学びました。
語学の勉強に加え、ビヨンセのバックダンサーを務めた一流ダンサーのクラスでレッスンを受けたり、ナイトショーにも通ったりして表現力を磨きました。
引用:grapu
留学した事によって今の渡辺直美さんがあるんでしょうね。
また今ではInstagramのフォロワーが国内芸能人ランキング1位です。
その他にも、映画やドラマなどお芝居のお仕事や、CMなどにも出演されています。
その活動は国内だけに留まらず、現在はアメリカでもトークショーを完売させるなど大活躍されています!
まとめ
渡辺直美さんの生い立ちについて、まとめました。
- 渡辺直美さんはハーフ
- 幼い頃両親は離婚
- 中学時代、いじめを受けていた。その事がきっかけでお笑い芸人を目指した
- NSC東京校というお笑い芸人育成所に16歳に入った
- NSC東京校を卒業後は今田耕司さんの目に留まり、そこから沢山の番組出演した
- 2014年にニューヨークに留学した
ということが分かりました。
沢山のテレビや映画に出演していますが、まだまだこれからたくさん活躍しそうですね。
渡辺直美さんのこれからを応援したいですね!
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