圧倒的な存在感に加え、誰もが「確かに!」というようなコメントを発言するマツコデラックスさん
マツコデラックスさんは、数多くの番組やCMなどでテレビで観ない日はないほど活躍されています。
今回はそんなマツコデラックスさんの生い立ちを見ていきましょう!
マツコデラックスのプロフィール
名前 | 松井貴博(まつい たかひろ) |
誕生日 | 1972年10月26年 |
年齢 | 51歳 |
血液型 | A型 |
身長 | 175cm |
出身 | 千葉県千葉市稲毛区 |
所属事務所 | ナチュラルエイト |
家族構成 | 父、母、マツコデラックス |
マツコデラックスさんといえば、男性ですが常に女装をしているいわばオネェのような存在です。
過去にはこのことで悩んでいた時期もあったそうです。
そのような方がなぜ芸能界に入ったのでしょうか。
マツコデラックスの生い立ち
それでは、マツコデラックスさんの生い立ちを見ていきましょう。
少し変わった家庭で育った?
ネットで書いている情報によると、マツコデラックスさんの家庭は少し変わっていたそうです。
それは家電製品を他の家庭より5年ほど遅れて購入していたという点です。
マツコデラックスさんのご両親は便利に暮らそうという発想がなかったのです。
そのため、掃除機や洗濯機に関しても古い物を修理しながら長く使っていました。
購入時と色が変わる程、使い込んでいました。
すごく物を大事に使う両親だったんですね。
母親からの手紙
マツコデラックスさんは自分のセクシャリティや職業などを両親に話をしたことがなく、メディアに出始めの頃は全国ネットやゴールデンの時間帯を避けて出演していたそうです。
しかし2011年にマツコデラックスさんは母親から一通のお手紙を受け取りました。
その内容は手術をすること、最後には「今日も5時の生放送見ます。」(女装をして出ていたテレビ番組の事)と締めくくられていたそうです。
やはり子供の活躍している姿が見れれば、外見がどのようになろうと関係ないですね。
マツコデラックスの幼少期
マツコデラックスさんの幼稚園は調べても出てきませんでした。
しかし、幼稚園に行っていたことは確かです。
「私、キャベツを食べられるようになったのは幼稚園の先生のおかげ」とカミングアウトが始まった。子どもの時にキャベツの千切りを1本口にしただけで「うえっ」となっていたマツコ。ある先生がそんなマツコに毎日つきあってキャベツの千切りを1本だけ食べさせたという。
引用:excite.ニュース
根気強くマツコデラックスさんに向き合ってくれたんですね。
また他のエピソードでは、マツコデラックスさんの世代ではあまり飲まれていなかった脱脂粉乳が通っていた幼稚園では出ていたそうで、トラウマになりほどまずい!!とおっしゃっていました。
マツコデラックスさんの小学校は、
千葉市立園生小学校
でした。
テレビ番組でここの小学校と発言していました。
マツコデラックスさんは小学校の頃のことを「相当やばい子だった」と言っています。
なぜか1人で並木路子の「りんごの唄」を歌うことになったことを回想した。「喜んでたのは校長先生だけだったという。あとみんなポッカーンという」。全校生徒の目が向けられる舞台上でも、当時のマツコは「緊張で震えてとか全然ないのね。もうおかしいと思うの、構造が、人間としての。緊張をしたことがない」と平常心だったという。
引用:スポニチ
緊張しないのはすごいですね。当時から表に出る素質があったんでしょうか。
また他のエピソードでは、
「同級生で今でも唯一、関係が続いてる、近所に住んでいた同級生に言われたのが、その家に遊びに行くじゃない?ふっと気づいたら、そこの輪の中から消えてて、その家のお母さんと一緒に女性週刊誌を見ながらしゃべってるんだって。小学生がよ?ふっとまた見たら、お夕飯の支度をしているお母さんの横に立って、味見とかしてるんだって。たぶん、すごい嫌な子供だったと思う」
引用:スポニチ
これはなかなかすごいエピソードですね。
またマツコデラックスさんはどこか冷めてる子供で、しかし話が面白かったため優等生や不良もみんな集まってきて仲間はずれなどはなかったが、友達と遊んでいても楽しく感じなかったので学校も不登校の時期もあったそうです。
マツコは「逆もあって、私、短い間だったけど学校に行かない時期があったの」と告白し、「周りに合わせるのがつらくなっちゃったの。子供でいるのが疲れちゃって、学校の雰囲気が嫌になっちゃったの」と原因を説明した。
引用:マイナビニュース
ただ学校の先生とは仲が良かったそうで先生に会いに学校に行く事もあったそうです。
6歳でオネェを認めた
マツコデラックスさんはたった6歳で自分が他の人とは違うと気づきます。
当時からポッチャリ体型で、女性を好きになれないことも気づいていた。しかし、性別としての女性になりたいとは思わないし、性同一性障害でもない。男の身体でいることは苦痛ではないし、不自由は感じていないが、女装はしたい。そんな複雑な自分自身に気づいて、思春期は思い悩んでいたという。
引用:ダ・ヴィンチ
少し冷めた子供だったから他に人と違う事にも早く気づけたんでしょうかね。
初めて女装する
マツコデラックスさんが初めて女装したのは小学校4年生の時だったそうです。
マツコが初めて女装したのは、小学4年のときだった。低学年のころから太っており、このままでは《「ただ太ってるだけの人間」になってしまう、何でもいいから自分の存在価値を周りに示さなきゃと思って、意を決して》学芸会で女装して歌った(『クィア・ジャパン』Vol.3、勁草書房、2000年)。
引用:文春ライン
この頃から自分から何かを発する力を持っていたんですね。
マツコデラックスの中学時代
マツコデラックスさんの中学校は
千葉市立小中台中学校
でした。
テレビ番組でここの中学校という発言をしていました。
マツコデラックスの高校時代
マツコデラックスさんの高校は
千葉県犢橋高等学校
でした。マツコデラックスさんは公表していませんが、ネットではこの高等学校が出ていました。
木村拓哉とマツコデラックス
マツコデラックスさんは木村拓哉さんと同じ高校でした。
「おふたりは高校の同級生って本当?」と尋ねられると、「はい」と即答した木村。マツコは「クラスは違うけど学年は一緒でした。千葉で、千葉市の(学校)」と明かし「途中から、2年生からこの人は芸能活動を本格的にやり始めたので東京の学校に転入しました」と懐かしそうに話した
引用:スポニチ
マツコデラックスさんは木村拓哉さんのことを覚えていましたが、木村拓哉さんは覚えていなかったらしいです。
一緒に屋上で早弁などをした仲間の1人でしたが、マツコデラックスさんの容姿が大きく変わっていたので「どいつがお前になったのか、分かんねぇ。」と言っていました。
ただ最初、木村拓哉さんはマツコデラックスさんを警戒してからかNG扱いだったそうです。
“彼女”の活躍が目立ち始めた’00年代半ばくらいのことですか、“マツコと木村が同級生だった”というネタが一部で報じられるも、当時は“イロモノ”扱いだったマツコに難色を示して、木村側はNG扱いにしていたと言います
引用:週刊PRIME
しかし、芸能界での立ち位置をどんどん上げていくマツコデラックスさん。
関ジャニの村上信五さんとの冠番組をスタートしたりとジャニーズとの交流も増えていったため、木村拓哉さんもSMAPを解散するとマツコデラックスさんと同級生枠を解禁し出しました。
今では、木村拓哉さんのご自宅にマツコデラックスさんが招待されるなど、いい関係を築いています。
さらにマツコは、木村と工藤静香の娘のKoki,やCocomiにも会ったことに触れ、
《(Koki,は)ちょっとボーイッシュでクールな感じ。(Cocomiは)本当にかわいらしいのよ。もう本人たちにも言ったんだけど、1人くらいブスだったらおもしろいじゃない。もうね、非の打ちどころがない。2人ともかわいくて“なんだよ、このやろう”と思う》
引用:週刊PRIME
さらにはこのようなエピソードもあります。
マツコは)23時くらいになってもまだ食ってるんですよ。それに合わせてお酒を飲んでたら、やっぱり酔うじゃないですか。それで自分の家ですし、自分のテリトリーなので、酔っぱらってたらやっぱり眠くなるじゃないですか。それで横になろうとしたら、「寝てんじゃねーよ!ジジイ!」とか言ってきて
引用:芸能人の共演集
一時期はNGまで出されていたマツコデラックスさん。
それがここまでの仲になったのは紛れもなくマツコデラックスさんの努力ではないのでしょうか。
本格的に女装を始めた
マツコデラックスさんが女装を初めてしたのは小学4年生でしたが、本格的に始めたのは高校3年生の頃でした。
「もうこうなったら、なるようになれ! 抗っても仕方がない!」と思えるようになっていく。完全に女装するようになったのは、高校3年生の頃。資生堂の企業文化誌『花椿』を見て、服飾やメイクへの興味をはっきり持つようになり、東京・田町駅前のコンビニのトイレで着替えて、メイクしては、倉庫街の「芝浦GOLD」というクラブに通っていたという。
引用:ダ・ヴィンチ
本当の自分が徐々に出せて良かったですね。
マツコデラックスの大学時代
マツコデラックスさんは大学には進学していませんが、専門学校に進学しています。
東京マックス専門学校
でした。
なんと若かりし頃、美容学校に通学経験があったというマツコさん!
引用:HOLLY WOOD
学校名は公表されていませんが、ネットではここではないか。という事です。
ゲイ雑誌編集部に入社
マツコデラックスさんは専門学校卒業後は美容師免許を取得したが自分の将来に違和感を感じ、美容師の道には進まず転職を繰り返すし、20代後半でゲイ雑誌「Badi」の編集部に入社しました。
『バディ』といえば、マツコ・デラックスらを輩出したことでも知られる雑誌
引用:Yahoo!ニュース
そして仕事内容は、
「私のころはデータ入力に変わるタイミングだった。デザインを指定して、文字数、写真、見出し、小見出しのQ数(文字の大きさ)を手書きして……入稿作業って大変だった。デザイナーの家に行って『あーでもないこーでもない』って図画工作みたいにやってた。年取ったなと思う」
引用:FLASH
マツコデラックスさんは美容師に編集者に色々できる事があったんですね。
30歳前に退職。そして引きこもりに。
「Badi」でマツコデラックスさんを知った、小説家 エッセイストの中村うさぎさん。
中村は、マツコはもっと大きなメディアに出ていくほうが向いていると思い、初の著書『アタシがマツコ・デラックス!』の出版にも協力した。
引用:文春オンライン
しかし、マツコデラックスさんはこの頃仕事で人間関係がうまくいかなくなり、精神的に追い込まれ編集部を退職して千葉県の実家に戻りました。
実家では約2年間、引きこもり生活を送っていました。
マツコデラックス、ブレイクする
そんな引きこもり生活からどうやって今のようなブレイクを果たしたのでしょうか?
きっかけは、2005年に「5時に夢中!」という番組に出演したことだったようです。
マツコ・デラックスがタレントとしてブレークしたきっかけは、TOKYO MXの情報番組『5時に夢中!』への出演だろう。2005年のことである
引用:東洋経済
なぜこの番組に出演する事になったのでしょうか?
マツコデラックスさんは、編集部で働いていた一方で女装をしてパフォーマンスをするドラァグクウィーンとして度々ステージに立っていました。
その同じドラァグクイーンの友人であるミッツ・マングローブさんと当時「5時に夢中!」の司会だった徳光正行さんは親戚関係で丁度、その番組に来られなくなった出演者の代役を探していて、そこでマツコデラックスさんにその話があったそうです。
面白いコメントが視聴者からウケて、月曜のコメンテーターとして準レギュラー出演になりました。
この番組からマツコデラックスさんは知名度を上げ、今現在に至ります。
まとめ
マツコデラックスさんについてまとめました。
- マツコデラックスさんの両親は少し変わっていた
- 小学生の時は相当やばい子だった
- 小学生の頃、引きこもりだった時期があった
- 6歳の時に自分がオネェという事を認めた
- 木村拓哉さんと1年間だけ高校が同じだった
- 高校3年生から本格的に女装を始めた
- ゲイ雑誌の編集社に入社する
- 編集社を退社すると、2年間引きこもりだった
- ミッツ・マングローブのおかげで「5時に夢中!」という番組に出演
- その番組をきっかけにブレイクした
ということが分かりました。
今でも数多くの番組に出ているのですが、これからも健康に気をつけながら活躍してほしいですね!
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