今大ブレイク中の横浜流星(よこはま りゅうせい)さん
小さい頃から目立ちたがり屋でやんちゃな子供だったそうですが、どうして俳優になったのでしょうか。
今回はそんな横浜流星さんの生い立ちについて見ていきたいと思います。
横浜流星のプロフィール
名前 | 横浜流星(よこはま りゅうせい) |
誕生日 | 1996年9月16日 |
年齢 | 27歳(2024年9月時点) |
血液型 | O型 |
身長 | 174cm |
出身 | 神奈川県横浜 |
所属事務所 | スターダストプロモーション |
家族構成 | 父、母、横浜流星、弟 |
調べていくと、横浜流星さんは小学生から高校生まで空手をやっていたそうです。
しかもかなりいい成績を残しているのだとか。その他にも仕事が全く無い時期があったそうです。
その辺りもしっかり深掘りしていきたいと思います。
横浜流星の生い立ち
それでは横浜流星さんの生い立ちを見ていきましょう!
横浜流星は芸名か?本名か?
横浜流星さんは本名です。
命名の由来について聞かれると、「2つあって」と打ち明け、「1つは『何か自信を持って輝いて欲しい』。もう1つは、生まれた瞬間に流れ星が流れたって」と説明。
引用:マイナビニュース
なかなか珍しい名前ですが、その分覚えやすい名前ですね。
横浜流星の幼少期
横浜流星さんは横浜市で生まれました。その後生後数ヶ月で、埼玉県松伏町に引っ越しました。
横浜流星さんの幼稚園は、
清浄院幼稚園
でした。しかし公表されていたわけではなく、ネットに記載されていました。
また、小さい頃は1つ下の弟が大好きだったようです。
「1つ下の弟を連れ回して何度も迷子になったり、遊びに夢中になって家のガラスを割ってしまったり……こんなかわいい顔してやんちゃでした」
引用:映画ナタリー
なかなかヤンチャですね。ヤンチャすぎて
「やんちゃな明るい少年で、母にいつも怒られて…。言い合いで母を泣かせた時に父が出てきてボコボコにされるっていう、そういう構図でした」
引用:スポニチ
お母さんを泣かせるほどだったんですね。
横浜流星さんの小学校は、公表されていません。
- 埼玉県松伏小学校
- 埼玉県松伏第二小学校
の2校ではないかと言われています。
小学校の頃の横浜流星さんは色んなスポーツをしていたそうです。
最初はサッカー、野球、スイミングと、いろいろなスポーツを試したのですが、最終的に自分から『空手がやりたい』と親に言ったそうです。試合や稽古がどんなに苦しくても、自分が一度決めたことは責任を持って貫く、という精神力は空手を通じて培うことができたと思います」
引用:NEWS
沢山あるスポーツの中で「空手」を選び、小学1年生の頃から取り組んでいるそうです。
スカウトされる
横浜流星さんは小学6年生の時に芸能界入りしています。
小学6年の頃にスカウトされ芸能界入り
引用:スポニチ
家族と初めて原宿にいった時にスカウトされました。小学6年生でスカウトされるのもすごいですね。
そして今の事務所に入社しました。入社してすぐにCMのお仕事のオファーがきました。
いきなり新人にCMのお話がくる事が珍しいため、これには事務所もびっくりしました。
この時から何か他の人とは違うものあったんでしょうか。
横浜流星の中学時代
横浜流星さんの中学校は、
松伏町立松伏第二中学校
でした。
写真に中学校名が載っているので間違いありません。
また中学校時代は、目立ちたがり屋だったそうです。
先生に怒られることによって、『あ、アイツ…』みたいな感じで皆に注目されるじゃないですか。皆に注目されるのが快感になってしまって、イタズラをしてしまったりとか…」と説明。
先生から校内放送で呼び出されるために、わざとやんちゃな行動を繰り返していたという。
引用:Sirabee
なかなか、珍しい目立ち方ですね。
横浜流星、空手で世界一に!?
横浜流星さんは空手の経験者で極真空手の初段。
中学3年生のときには、世界大会の「13・14歳男子55kgの部」で優勝して世界一に輝いた経歴も持ちます。
すごい成績の持ち主ですね。それに加え、学校の勉強や芸能活動、かなり忙しかったのではないでしょうか。
メンズモデルを務める
横浜流星さんは2010年から雑誌の「ニコプチ」、2011年から「ニコラ」のメンズモデルをしていました。
また読者投票では1位になり、メンズモデル初の連載を持ちました。
読者投票ではメンモ人気No.1を獲得し、歴代メンモで初めて連載を持つなど快挙を達成
引用:モデルプレス
さすが横浜流星さんですね!この頃からずっと輝いていたんですね。
横浜流星の高校時代
横浜流星さんの高校は
日出高等学校(現・目黒日本大学高等学校)
でした。
この高校は他にもかなり豪華な人達が卒業されています。
- 高杉真宇さん
- 岩谷翔吾さん
- 飯豊まりえさん
- 矢作穂香さん
- 松岡広大さん
がいます。先輩には志尊淳さんや吉沢亮さんがいます。
高校時代の横浜流星さんはイキイキした高校生活を送っていたようです。
「高校生のころは、毎日何も考えずに、その日が楽しければいいと思って過ごしていました。今思えば一瞬一瞬を生きていた、悪く言えばバカだったなと思います(笑)。怖いものがなかったし、世の中は自分中心で回っているって思っていたのかも。まぁ、高校生のころはみんなそんな気持ちを持っていると思いますが…。体育祭は率先して盛り上げているような、本当にイキイキとした高校時代でした。」
引用:ザテレビジョン
やはり小さい時から変わらず前へ出るようなタイプの高校生だったんですね。
芸能活動本格化
高校に入学してから芸能活動を本格化していました。
初めてのレギュラー番組は2012年に放送された「仮面ライダーフォーゼ」です。
「仮面ライダーフォーゼ」に出演した際、同じ高校の先輩だった吉沢亮さんと共演しました。
空手か役者か大学進学
横浜流星さんは、高校卒業した後どの道に進むのかかなり悩んで決めました。
このまま空手を続けるか、俳優一本に絞るか、それとも大学に進学するかでかなり迷いました。ですが、最終的には『今しかできないことをやろう』と思い、この世界で生きていくことを選択しました」
引用:NEWS
また悩んでいた時に「烈車戦隊トッキュウジャー」のオファーがあったことも芸能界を選んだきっかけにもなりました。
悩んでいた時に両親から
「人生は一度きりなんだから、流星の好きなように生きなさい。」
と言われました。空手を始めた時も、芸能界に入った時も、他にも何かを決める時、両親はいつも横浜流星さんに決断を委ねていたそうです。
自分で決めることによって責任感も生まれるのではないのでしょうか。
半年間、仕事がなかった
芸能界に残ると決めた横浜流星さん。しかし、仕事が全くなかった時期もあったそうです。
戦隊ものが終わってからも、それこそ『ちはやふる』(小泉徳宏監督)のオーディションを受けましたが落とされ(笑)、半年くらい仕事がなかったんですよね。あれ、楽しいと思って決心してこの仕事で生きていくぞ!と決めて、半年間仕事がなかったときは、どうしよう…と思いました。でも自分がやるべきことをやっていこうと思い、ワークショップに通ったり、いろいろなインプットをしたりした結果、いろいろな機会をいただけて、今ここにいます。腐らなくてよかったです。あの時
引用:ORICON NEWS
またオーディションを受けた際に「戦隊モノの演技が抜けていない」といった指摘もされたそうです。
横浜流星さんでも仕事がない時期があったのは驚きですね。
横浜流星、ブレイクする
横浜流星さんがブレイクしたのは2019年1月期に放送された連続ドラマ「初めて恋をした日に読む話」でピンク髪の不良高校生“ゆりゆり“こと由利匡平を演じ。大ブレイクを果たしました。
同ドラマ終了後は”ゆりゆりロス”のワードがSNSを駆けめぐり、自身の公式インスタグラムのフォロワー数はドラマスタート前の14万人から82万人(2019年4月29日時点)へと激増した。
引用:ORICON
大ブレイクした横浜流星さんが、出演した次の作品は「あなたの番です」というドラマです。
このドラマは回を追うごとに反響が大きくなり、2019年9月8日に放送された最終回視聴率は19.4%、総合視聴率25%を記録しています。
横浜流星さんは、このドラマで急成長しました。
『あな番』をやっていた時は、勉強の日々でした。実は、脚本のあがりが遅く、撮影本番まで時間的な余裕がなかったですし、『こんなストーリーになっているの!?』と視聴者の皆さんが驚くのと同じように僕も驚いて、毎回、脚本を読むのが楽しみだったけど、予想外過ぎて、なかなか頭に入らなかったんです。たぶん、それまでの僕は、ここはこうだな、ここはこうしようと、決めてかかっていたところがあったと思うんです。でも『あなたの番です』は、自分で考えていたことが衝撃的に覆されてばかり。徐々に、より柔軟に対応していけるようになっていきました。そうするしかない状況ではあったんですけど、それによっていろいろ学ぶことがありました。何だかすごく試されている気持ちにもなりましたし、脚本を受け取るたびに、何かを乗り越えていかないといけない感じでした」
引用:ORICON NEWS
横浜流星さんにとってこのドラマはかなり勉強になったんですね。
だから今の横浜流星さんの演技があるんでしょうか。
まとめ
横浜流星さんの生い立ちについてまとめました。
- 「横浜流星」は本名
- 小学1年生から空手を始めた
- 小学6年生の時にスカウトされる
- 中学3年生の時に空手で世界大会の13・14歳男子55kgの部」で優勝し世界一になった
- 2010年からメンズモデルを務め、読者投票では人気No.1になった
- 初めてのレギュラー番組は「仮面ライダーフォーゼ」で同じ高校の先輩、吉沢亮さんと共演した
- 戦隊モノが終わると半年間ほど仕事がなかった
- 「初めて恋をした日に読む話」というドラマで大ブレイク
ということが分かりました。
まだまだ若い横浜流星さんですが、これからも色々な事を学びすごい演者になるんでしょうね。
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