数々のドラマや映画に出演している眞栄田郷敦(まえだごうどん)さん。
2023年1月には結婚をし、話題になりましたね‼︎
今回はそんな眞栄田郷敦さんの生い立ちについて取り上げて行きます。
眞栄田郷敦のプロフィール
名前 | 眞栄田 郷敦(まえだ ごうどん) |
生年月日 | 2000年1月9日 |
年齢(2024年4月時点) | 24歳 |
血液型 | B型 |
身長 | 183cm |
出身地 | アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス群サンタモニカ |
所属事務所 | ユニバーサルミュージックアーティスツ合同会社 |
家族構成 | 父、兄、異母姉、叔父 |
眞栄田郷敦さんといえば、お父さんが千葉真一さんでお兄さんが新田真剣佑さん
それぞれ俳優として有名ですよね!
またアメリカで生まれ育っているため、英語力ももちろん抜群!
そんな眞栄田郷敦さんの生い立ちを取り上げました。
眞栄田郷敦の由来
眞栄田郷敦さんの本名は「前田郷敦」さんです。
眞栄田の漢字が違うだけで下の名前は本名ですが、なかなか珍しい名前ですよね。
お父さんが名付けたそうで、
- 脚本を書くときに使っていたペンネーム「GORDON」から取った
- 海外でも活躍してほしいという意味を込めた
という由来があります。
眞栄田郷敦さんは自分の名前を気に入っているが、苗字のインパクトが薄いことを不満に思っていると、出演していた番組で話していました。
自分の名前について「郷敦ってすぐに覚えてもらえるので気に入ってる」と満足げ。
しかし、不満もあるそうで「『眞栄田』がなんか軽いというか、インパクトが薄い。『郷敦』で覚えてもらって、上の名前が『眞栄田』って言うの恥ずかしい」と心境を打ち明けた。
モデルプレス
郷敦という名前がかなりインパクトが強いので眞栄田という素朴な苗字が逆に覚えやすいかもしれませんね!
眞栄田郷敦の生い立ち
それでは眞栄田郷敦さんの生い立ちを見て行きましょう!
眞栄田郷敦の幼少期
眞栄田郷敦さんの出身小学校は公表されていません。
しかし、2020年5月10日の「人生最高のレストラン」(TBS系)に出演した際には12歳までビバリーヒルズで暮らしていた事を語っていました。
そうなると、高い確率でビバリーヒルズ(ロサンゼルス)の小学校ではないでしょうか。
また同じ番組にて、セレブな家に住む友人達と過ごしていたことも明かしています。
そのため、ビバリーヒルズの中でもお金持ちが通うような小学校だったかもしれませんね。
小学校時代は、お父さんの影響で空手をしていました。
最初は週2回ほど練習していましたが、どんどんハマってしまい、毎日練習するほどに!
お庭にはサンドバックまで置いていたそうです。
そして、10歳の頃には全米2位という好成績を残しています。
すごく空手が好きだったみたいですね!
空手以外にも、バスケットボールやスケボーなど体を動かすのことが大好きな少年でした。
また小学校6年生の頃にサックスを始め、その後長年にわたりサックスに熱中しました。
色々なことに興味があったんですね。
眞栄田郷敦の中学校時代
眞栄田郷敦さんは12歳までロサンゼルスにいましたが、それ以降は京都に住んでいました。
出身中学校は
京都府立修学院中学校
です。
2012年4月に入学し、2015年3月に卒業しました。
2019年11月18日に放送された「しゃべくり007」にて京都府修学院中学校に進学して事を明かし、チュートリアル福田充徳さんと同じ学校だったということで話が盛り上がっていました。
また2021年9月10日に放送された「A-Studio+」では中学時代が一番荒れていたと語っていました。
どんな風に荒れていたかというと、
授業中に卓球をする
といったヤンチャぶり。なかなかすごいですね。
また「中学2年生は不安定な時期でしたね。ピリピリしていましたし、壁も作っていましたし。」との事。
そんな眞栄田郷敦さんを変えるきっかけがありました。
サックスを本格的に始めた
そのきっかけが、小学時代に少しだけしていたというサックスだったんです。
「小学校までアメリカで、授業でバンドの授業があって、それでサックスを始めてみようかなと思って始めた。中学校に入って、従兄が部長で、楽器もやっていたし、吹奏楽部入ろうって。それからですね。本気でプロは目指してましたね」と回顧。
スポニチ
そこで出会ったのが吹奏楽部の荒木先生(女性)。
帰国子女で敬語も使えなかったが、厳しく指導されたとのこと。
「今、礼儀正しいねって言っていただくことが多いんですけど、荒木先生のご指導があったおかげだなって思います。人生を変えてくれたと言っても過言ではない先生でした。」
と「A-Studio+」で語っています。
眞栄田郷敦さんは卒業された今でも荒木先生に挨拶に行っているとか。
すごくいい先生に出会ったみたいですね。
眞栄田郷敦の高校時代
高校は岡山県岡山市にある
名城学院高校
に進学しました。
高校からは親元を離れて寮に入りました。
眞栄田郷敦さんは名城学院高校の特別芸術を選択。
毎日サックス漬けの日々で唇がボロボロだったとの事です。
高校3年生の時には吹奏楽部の部長を務め、全国大会で銅賞になるほどの腕前になりました!
何かに打ち込める物があってとても良いですね!
大学ではなく芸能界の世界へ
眞栄田郷敦さんは、大学には進学していません。
高校時代にサックスでプロを目指して、東京芸術大学を受験しましたが不合格。
「落ちる気はしてなくて、絶対に受かると思っていた」という東京芸術大学の受験に失敗し、サックスの道を断念したという。
スポニチ
プロを目指していただけあってショックだったでしょうね。
大学を受験する時は、芸能界の世界には全く興味がなかったそうです。
しかし、お兄さん(新田真剣佑さん)が出演している「OVER DRIVE』の試写に行った際に、監督から『小さな恋のうた』の慎司役はどうか?という話があり、受けたのが芸能界に入るきっかけとなりました。
「ちょうど(受験に)落ちたぐらいの時に、兄の『OVER DRIVE』(2018年公開)って作品がありまして、父に誘われて、関係者だけの初号(試写)に行かせてもらった
ご挨拶とかさせていただいて、この役(『小さな恋のうた』の慎司役)をどうかって言っていただいて…」とデビュー作のオファーが舞い込んだという。
スポニチ
全く芸能界に興味がなかった眞栄田郷敦さんが初出演を務めた映画ですが、その経験が眞栄田郷敦さんにとって良いものになったから俳優業を本格的に始めるようになったんですね。
初出演、初映画の作品がこの映画で本当に良かったと思います。キャストの皆さんもスタッフの皆さんも本当に温かくて、めちゃくちゃいい現場だったんですが、「こんな現場ないよ」という話をよく聞いたので、今回は半年間の練習期間を設けていただきましたが、これを当たり前と思わずに、役作りや芝居に向かっていきたいと思っています。
ぴあ関西
いろんな経緯があって今の俳優としての眞栄田郷敦さんがいるんですね!
まとめ
眞栄田郷敦さんの生い立ちについて、まとめました。
- 小学生の時には空手がすごく強かった
- 中学時代は荒れていたがサックスのおかげで立ち直った
- 大学は不合格だったため芸能界入り
- 現在は数々のドラマや映画に出演している
という事が分かりました。
これからも色々な作品に出演されると思いますが、すごく楽しみですね!
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