俳優の水上恒司さんは、2022年8月まで「岡田健史」の芸名で活動されていました。
小学2年生から野球に打ち込み、プロ野球選手を志していた水上恒司さんは、なぜ俳優の道を選んだのでしょうか。
今回は水上恒司さんの生い立ちについてまとめました。
水上恒司のプロフィール
名前 | 水上 恒司(みずかみ こうし) |
旧芸名 | 岡田 健史(おかだ けんし) |
生年月日 | 1995年5月12日 |
年齢 | 24歳(2024年5月現在) |
血液型 | O型 |
身長 | 178cm |
出身 | 福岡県福岡市東区 |
所属事務所 | 合同会社HAKU(業務提携) |
家族構成 | 父、母、姉、本人 |
水上恒司さんは、2022年8月まで「岡田健史」の芸名で芸能活動をしていました。
前事務所の「スパイスパワー」での契約を前倒しで終えたことを機に、現在は本名の「水上恒司」で活動されています。
水上恒司の生い立ち
水上恒司さんの生い立ちをまとめました。
小学校時代
水上恒司さんが通っていた小学校は、
福岡市立和白東小学校
と言われていますが、公表されていないため真相はわかりません。
2023年12月の雑誌のインタビューで、「小学生の頃はどんな子でしたか?」という質問に
「落ち着きがない子! クラスのムードメーカーとかじゃなくって、ただ単純に動いてしゃべって、しずかにしなさい!って言われていたタイプです(笑)
引用元:ニコ☆プチ
とこたえ、「得意だった科目と苦手だった科目は?」という質問には
けっこうなんでも得意でした、苦手なものもなかったです!
引用元:ニコ☆プチ
という回答でした。
野球に打ち込んでいた小学校時代でしたが、勉強もしっかりできていたのは、さすがですね!
プロ野球選手を目指していた
水上恒司さんは、小学2年生の時に「ヤング福岡ライナーズ」の小学部に入団します。
幼い頃から白球を触るなど、野球をそばに感じながら生活していました。
しかし、小学1年生の時に「野球チームに入りたい」と両親に頼んだところ、却下されてしまいます。
ただそれは、水上恒司さんが本気で野球に取り組めるのか、試していたからだそうです。
諦めずに何度も両親に頼み込む水上恒司さんの本気を感じ、小学2年生の時に「ヤング福岡ライナーズ」に入団することが許可されました。
全国大会に出るほどの強豪チームで練習に励み、野球に打ち込む生活がこれから11年続きます。
中学校時代
水上恒司さんは
福岡市立和白丘中学校
に通っていました。
「どのような子どもだったのか」という問いに
学校では応援団長や生徒会を任されるようなリーダータイプの子供だったと思います。
引用元:文春オンライン
とこたえています。
中学校では部活動には入部せず、「ヤング福岡ライナーズ」の中学部で野球を続けました。
写真は、中学3年生の時の水上恒司さんで、テレビ番組『出川哲朗の恥の王様~恥の数だけ人生は豊かになる~』で放送されたものです。
放送後、水上恒司さんのイケメンぶりに、SNSでは「かっこいい」「これはモテた」など盛り上がっていました。
実際に、水上恒司さんの中学生の時の卒業に関するモテエピソードがあります。
卒業時に好きな人の制服の第2ボタンをもらうという風習がありますが、水上恒司さんは第2ボタンどころか学生服のボタンが全部なくなったそうですよ。
イケメンで、みんなをまとめるリーダーで、物事(野球)に真摯に打ち込むとなれば、モテるのは大いに納得です!
また、中学1年生の頃から5年間、前事務所「スパイスパワー」からスカウトされ続けます。
甲子園を目指していた水上恒司さんは、
“いつもご苦労さまです。でも、やりませんよ”と言っていて。俳優になりたいなんて、まったく思ってなかった(笑)。
引用元:週刊女性PRIME
と話されています。
特待生で高校に入学
水上恒司さんは、野球の特待生として、
創成館高等学校
に通っていました。
創成館高等学校は、長崎県にある私立の共学高校で、野球の強豪校として有名です。
野球部ではキャッチャーを任され、副キャプテンを務めていました。
中学生の時のモテぶりは高校でも健在でした。
野球の練習や試合があるとたくさんの女子が応援にかけつけ、「キャッチャーミットをはずして!」など、水上恒司さんの姿に沸き立っていたそうですよ。
水上恒司さんは、本気で甲子園を目指して野球に打ち込んでいました。
しかし、最後の試合で良い結果が出せず、「負けた瞬間は涙すら出なかった」と話されています。
僕たちの代は長崎県大会ベスト8で終わってしまったんです。
ずっと先輩たちの活躍を見ていたのに、最後の試合でそんな結果になってしまって。自分たちの至らなさに、「はぁ……」となりましたし、試合に負けた瞬間はあまりのことに涙も出なかったです。
引用元:文春オンライン
野球の強豪校である創成館高校で特待生として入学し、様々なことを優遇してもらっていた水上恒司さん。
ですので、甲子園に手が届かなかったことで、とても悔しい思いをされたのでしょうね。
野球部を引退し、目標を甲子園から社会人野球に変え、大学でも野球を続けていこうと考えていましたが、この後転機が訪れます。
芸能界へのきっかけは演劇部の舞台
野球部を引退した後も、社会人野球への目標を胸に、事務所からのスカウトを断り続けていました。
そんな中演劇部のコンクールがあり、男子の出演者が足りず、出場する生徒を顧問の先生が探していたところ、水上恒司さんがスカウトされます。
特に演劇に興味があったわけではありませんでしたが、野球の特待生として入学した恩を学校に返したい思いで、喜んで引き受けたそうです。
助っ人として出演した舞台『髪を梳かす八月』で水上恒司さんは特攻隊員を演じ、 「九州高等学校演劇研究大会」で最優秀賞を受賞されます。
この経験で水上恒司さんは、
その公演後に幕の前に立った瞬間、うまく言語化できない、露骨な快感に包まれて。“役者をやろう”と思いました。
引用元:週刊女性PRIME
と話されています。
その頃には大学進学が野球推薦で決まっていましたが、両親と大喧嘩しながらも「俺の人生だ!」と熱意を伝え、理解してもらいました。
大学にも事情を話し、5年間スカウトし続けてくれた事務所「スパイスパワー」と契約します。
大学を休学・中退
水上恒司さんは大学に進学していますが、大学名は公表されていません。
福岡工業大学社会環境学部
ではないかという情報もありましたが、真相はわかりませんでした。
大学は野球で選んだんですよ。野球の設備が良かったし、大学生活も経験してみるのもいいかなって。
引用元:文春オンライン
と話されていましたし、前述したとおり、役者を目指し事務所に所属した時には、すでに野球推薦で大学進学が決まっていました。
しかし、ドラマ『中学聖日記』のオーディションを大学に入学する直前に受けていたので、その結果次第で大学生活が続けられるかが決まると思っていたそうです。
結果、『中学聖日記』のオーディションに見事合格し、大学を休学して、撮影のために上京します。
その後もドラマ、映画と出演が続き、大学に通えなかったことから、
休学して2年経った頃に父から電話があって、「もう、いいよな?」と聞かれ、「はい、ごめんなさい。ありがとうございます」と伝え中退を決めました。
引用元:文春オンライン
と、休学を2年した後、中退したことを明かされました。
19歳で芸能界デビュー
水上恒司さんは、2018年10月に放送されたドラマ『中学聖日記』で主人公の相手役に選ばれ、19歳でデビューされました。
オーディションには500名を超える応募があったそうです。
水上恒司さんは、インタビューで
演技は野球のように勝ち負けがはっきりしていないし、してないからこそ表現できることもある。
目標は、ビジュアル的にではなく、美しい俳優になることです。
引用元:日刊スポーツ
と話されています。
両親は、当初は反対していたものの、デビューが決まった時には喜んでくれたそうですよ。
水上恒司さんは、芸能界デビューである初めてのドラマ出演で、「週刊ザテレビジョン」の第99回ドラマアカデミー賞助演男優賞を受賞されました。
芸能界デビューの作品で主人公の相手役を務めるというだけでも凄いことですが、初めての作品で賞を獲ることは素晴らしいですよね。
5年もスカウトをし続けた事務所は、水上恒司さんの才能を最初から見出していたのかもしれません。
まとめ
今回は、水上恒司さんの生い立ちについてまとめました。
- プロ野球選手を目指していた
- 中学1年生の時にスカウトされたものの5年間断り続けた
- 高校は野球の特待生として入学する
- 芸能界へのきっかけは高校の演劇部の舞台
- ドラマ『中学聖日記』で19歳の時に芸能界デビュー
ということがわかりました。
水上恒司さんは、自分で決めた目標に向かって努力を惜しまない方なのでしょうね。
野球から俳優へと歩む道を変えても、強い意志と努力で道を切り開いていくのだと思いました。
様々な作品に出演する水上恒司さんの更なる活躍を、これからも楽しみにしています!
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