“山P”という愛称で知られる山下智久(やましたともひさ)さん。
ジャニーズ事務所を辞めて俳優として世界進出を果たし、活躍していますよね!
今回はそんな山下智久さんの生い立ちについて取り上げます。
山下智久のプロフィール
名前 | 山下智久(やました ともひさ) |
愛称 | 山P(やまぴー) |
誕生日 | 1985年4月9日 |
年齢 | 38歳 |
血液型 | A型 |
身長 | 175センチ |
出身 | 千葉県船橋市 |
所属事務所 | HIGH HOPE ENTERTAINMENT所属 |
家族構成 | 母、山下さん、妹 |
ジャニーズ時代からNEWSの人気メンバーとして活躍していたり、ドラマや映画でも引っ張りだこな山下智久さん。
過去には、両親が離婚してしまって苦労されたりしました。
また、女で一つで育ててくれたお母さん思いな一面を持っていたりします。
山下智久の生い立ち
そんな山下智久さんの生い立ちを取り上げました。
山下智久の幼少期
山下智久さんの出身小学校は公表されていません。
松戸市立大橋小学校
ではないかと言われています。
当時は松戸市に住んでいたので地元の公立小学校へ通っていました。
小学校時代は、以下のように習い事を沢山していました。
- 水泳
- 空手
- そろばん
- 野球
ジャニーズJr.に入る前まで続けていた空手は帯の色は紫色だったそうです。
しかし、市の大会で2位という好成績を残すほどの実力だったんですよ!
この習い事やエピソードを見ると、運動神経が良かったように感じますね。
山下智久の芸能界に入るきっかけは
山下智久さんが小学校5年生(11歳)の時にテレビで滝沢秀明さんを見たことがきっかけでした。
山下智久さんはこの時、「子供でもテレビに出ることができるんだ!」と感動しました。
そして、お母さんに履歴書を書いてもらって、いくつかの事務所に応募したそうです。
最終的にジャニーズ事務所に所属することになりました。
しかし、はっきり「合格」と言われず、週末のレッスンに呼ばれたり呼ばれなかったりの不安の日々が続いたそうです。
その為、初めてジャニーズJr.として番組に出演することになった日は学校で、はしゃぎすぎて骨折!
医者から手術を勧められたのにも関わらず、痛み止めを飲んでギプスをして収録に参加したというエピソードがあります。
この根性が認められ、次の週からも続けてレッスンに呼ばれるようになったそうです。
山下智久の両親が離婚
ジャニーズ事務所に入った頃は父親の姓でもある「青木智久」で活動していました。
ですが、両親が離婚した為、母親の姓「山下智久」に変更したそうです。
母親の名前は山下直美さんと言います。
女手一つで自分と妹2人を育ててくれた母親に対し、山下さんは感謝の気持ちが強かったようで、
仕事が増えた山下智久さんが20歳の頃に直美さんに
「もう仕事しなくてもいいよ」
と伝えたことがあります。
これまで女手一つで育ててくれたことに対して
「これからは自分がお母さんを育てていく」
という気持ちがあったんでしょうね。
現在、山下智久さんが代表を務める会社の「監査」という役職に、母親の直美さんを置いています。
これも山下智久さんなりの恩返しだったのではないでしょうか。
お母さん思いな優しい子だったことがわかりますね!
両親が離婚した後、母親が仕事で家にいない時は、祖父母と過ごしていたとのこと。
その為、小さい頃はおばあちゃんっ子だったんですよ。
山Pの由来
山Pと命名したのは滝沢秀明さんです。
一説では、山下さんがJr.時代にピンクの衣装を着なければいけない時にブルーの衣装を着てしまった際、皆に「山下!ピンクだよ!」と言われているのを聞いた滝沢さんが“山下ピンク”を省略して“山P”と呼ぶようになったと言われています。
面白い由来ですね。
山下智久の中学校時代
山下智久さんの中学校についても公表されてはいません。
松戸市立和名ヶ谷中学校
船橋立高根中学校
のどちらかではないかと言われています。
松戸市和名ヶ谷中学校に入学した後、実家の引っ越しがあり、1999年(中学2年生)の時に船橋立高根中学校に転入したそうです。
中学生の頃にはジャニーズ事務所に所属していた為、部活動はしていませんでした。
中学1年生の時に「BOYS BE・・・Jr.」という作品でドラマデビュー。
そして「っポイ!」で相葉雅紀さんと一緒に初出演を果たしています。
芸能のお仕事が充実し出した、一方で当時は「学校は嫌いだった」との事です。
理由は
- 仕事が忙しくあまり学校に通えなくなってしまい、勉強についていけず成績が悪くなった
- 先輩からジャニーズであることを、馬鹿にされた
からでした。
山下智久の高校時代
山下智久さんの高校は、堀越高等学校のトレイトコースです。
この学校は、数多くの芸能人の母校になります。
山下智久さんの同級生には、
- 城田優さん
- 小池徹平さん
- 蒼井優さん
- 田中聖(元KAT-TUN)
- 北山宏光(元Kis-My-Ft2)
といった豪華メンバーが居ました!
また1つ年上には生田斗真さんもいたそうです。
中学から引き続き仕事が忙しいため、高校1年生の時には成績がかなり悪くなっていました。
高校に入学した当初は「友達も勉強も必要ない」という考えでした。
少し捻くれちゃったんでしょうね。
しかし、同級生の城田優さんに出会って、勉強も教わったりしていく内に、次第に考えが変わったそうです。
高校時代に素敵な出会いがあったのですね。
山下智久の大学時代
山下智久さんは明治大学に進学します。
一般入試ではなく、推薦AO入試で進学しています。
推薦といえども高校は芸能コースに通っていましたから、このレベルの大学に進学するのはまさに異例でした。
なぜ芸能界にも入っていたにも関わらず、大学に進学したのか。
その理由について、テレビに出演した際に以下のように語っていました。
「僕も人生に悩んだ時期があったといいますか。デビューできるかどうかも分からない状況だったので、一応大学に行ってちゃんと勉強して、万が一のために備えようっていう刺激を(櫻井から)いただき、大学行かせていただきました」
2019年4月4日放送、櫻井・有吉THE夜会』(TBS系)にて
櫻井翔さんも嵐として活躍しながら、慶應義塾大学に進学されましたもんね!
そんな先輩の後ろ姿に勇気をもらったんでしょう。
中学、高校1年の時には成績が悪化していたのに、挽回したんですね!
大学時代には、もうすでにNEWSとしてデビューしていましたし、ドラマも出演していた為、かなり多忙だったと思われます。
そのためか単位が足りず、半年遅れての卒業だったそう。
それでもきちんと卒業したのは凄いですよね!
大ヒット‼︎「野ブタ。をプロデュース」
大学2年生の時に山下智久さんが出演したドラマ「野ブタ。をプロデュース」。
山下智久さんは彰役として出演していました。
この彰という役は、少しおちゃらけた雰囲気で、脱力したような話し方で当時のチャラ男でした。
しかし、そのキャラが視聴者には大ウケしていました!
実は、撮影当初、彰は優等生キャラという設定だったんです。
監督からは彰を
「スマートに早口でバババッと明確にしゃべる役にしてほしい」
という要望が出ていました。
しかし、山下さんは
「(でも)イヤだと。リハーサルでは、ちょっとずつ監督(の要望に)に寄せた時もあったと思うけど、本番までは隠していて、本番回った瞬間にほぼ真逆のことをやったんです。そしたら、現場が止まって…。プロデューサーと監督が話し合うみたいになって、もう1回やってみようって。(監督に)『優等生でやってくれ』と言われたんですけど、イヤなんで…」と当時を回顧した。
スポニチ
と言うように、自分の意見を曲げなかったそうです。
実は山下さんは、2003年頃(当時18歳)から“反抗期“を迎えており、このドラマの時も絶賛反抗期中だったとのこと。
結果として、この山下さんが生み出した彰のキャラが大成功となりプロデューサーから
「山Pのおかげで彰に命が吹き込まれた」
と感謝されたそうです。
面白いエピソードですね!
まとめ
山下智久さんの生い立ちについて、まとめました。
- 山下智久さんが幼少期の時に両親が離婚
- 母子家庭で育つ
- おばあちゃんっ子だった
- 母思いの優しい子だった
- 母親を助けてあげたいという気持ちから芸能界に入った
- 現在では、独立し芸能活動の傍ら会社の経営もしている
ということが、わかりました。
演技力もかなり上達し、海外でも活躍する山下智久さんのこれからを応援したいですね!
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