本田真凜の生い立ち!文武両道な天才美少女が誕生した経緯

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本田真凜の生い立ち!

本田真凜さんは、中学2年生の時に世界ジュニア選手権で優勝するなど、輝かしい成績を残しているフィギュアスケーターです。

妹の本田望結さん、本田紗来さんと一緒に「本田3姉妹」としてメディアに出演することもありますので、スケートファンのみならず本田真凜さんをご存じの方も多いのではないでしょうか。

今回は本田真凜さんについてまとめました。

目次

本田真凜のプロフィール

引用:Instagram
名前本田 真凜(ほんだ まりん)
愛称まぼ
生年月日2001年8月21日
年齢22歳(2024年5月現在)
血液型A型
身長163cm
出身京都府京都市伏見区
所属日本航空アイススケート部(所属)、ヒーローズマネジメント株式会社(マネジメント)
家族構成父、母、姉、兄、本人、妹、妹

本田家は5人兄弟です。

お姉さんは一般の方なので写真はありませんでしたが、長男の太一さん、三女の望結さん、四女の紗来さんはフィギュアスケーターです。

引用:Instagram

太一さんは大学卒業を機に現役を引退、現在は日本M&Aセンターに就職されています。

望結さんは4歳から芸能活動をしており、ドラマ『家政婦のミタ』で注目を集め、現在は芸能活動とフィギュアスケートを両立されています。

また、紗来さんも芸能活動とフィギュアスケートで活躍されています。

本田真凜の生い立ち

引用:Instagram

本田真凜さんの生い立ちをまとめました。

2歳からスケートをはじめる

本田真凜さんは2歳からスケートをはじめています。

きっかけは、家族でスケートリンクに遊びにいったことで、お兄さんの太一さんと一緒にスケート教室に入会しました。

ちなみに、当時8歳だったお姉さんはスケートをはじめるには年齢的に遅いと言われ、そのためスケート教室には入会しなかったそうです。

引用:Instagram

本田真凜さんは当時のことを、

いつのまにかスケート靴をはいて滑っていました。なのでいつから滑り始めたのか覚えていないんです。気がついたらすでに氷の上にいました。

引用元:EQWEL

と話されています。

幼少期の習い事

幼少期の本田真凜さんは、スケート教室以外にもアイスホッケー、体操、テニス、水泳、絵画教室、ピアノ、公文、七田チャイルドアカデミーと、たくさんの習い事をされていました。

でも、多くの習いごとを広く浅くただ習っていた、というわけではありません。

引用元:SAISON CHIENOWA

と、本田真凜さんのお父さんは話します。

どの習い事も一生懸命取り組んでいて、公文では、英語・国語・数学の3教科総合得点が京都で学年1位になったそうです。

また、体操の先生からは「選手コースにどうですか」と誘われるほど、運動神経が良い子どもでした。

ご両親は、本田真凜さんがやりたいと思うことには、幼い頃から数多くチャレンジさせていたそうですよ。

ご両親の習い事に対する考え方や想いが、本田真凜さんの一生懸命取り組める姿勢につながったのだと思いました。

小学校時代

本田真凜さんは

関西大学初等部

に通っていました。

関西大学初等部は、小中高一貫教育校の私立小学校です。

本田真凜さんは、スケートリンクがある関西大学に初等部が設立された時に編入されました。

そして、関西大学初等部に編入したことで、スケートにより一層力を入れていきます。

小学4年生の時に初めて出場した全日本ノービス選手権で銀メダルを獲得翌年の同大会では歴代最高得点で優勝を果たしました。

本田真凜さんは、11歳の時にトリプルアクセル以外の5種類の3回転ジャンプを習得しています。

小学6年生の時には、初めて日本スケート連盟の強化選手に選出されました。

引用元:EQWEL

小学6年生で出場した全日本ジュニア選手権では、総合5位に入賞しています。

中学校時代

本田真凜さんは

関西大学中等部

に通っていました。

本田真凜さんは、中学2年生の時に初出場した世界ジュニア選手権で、見事優勝されています。

日本の女子シングルでの優勝は村上佳菜子さん以来6年ぶりで、多くのメディアに取上げられ注目を集めました。

引用:日本経済新聞

中学3年生では、全日本ジュニア選手権で銅メダルを獲得し、同大会で初めて表彰台に上がります。

また、世界ジュニア選手権では史上初の200点を超える記録を出し、平昌オリンピックの金メダリストであるザギトワ選手に次いで銀メダルを獲得しました。

高校時代

本田真凜さんは

関西大学高等部

に通っていました。

高校1年生の時には、妹の望結さん、紗来さんと一緒に、「読売新聞アンバサダー」に就任し、姉妹3人で読売新聞の広報活動を担当しています。

引用:Instagram

全日本選手権に出場した際には、ジャンプでミスがあったため総合7位となり、平昌オリンピック代表を残念ながら逃してしまいました。

本田真凜さんは、1年生が終了するとアメリカに練習拠点を移し、

青森山田中学高等学校 普通科スポーツコース

2年生から編入学されています。

青森山田高校は私立の中高一貫の共学高校です。

スポーツの強豪校として有名ですが、卒業生には水谷隼さん(卓球選手)、柴崎岳さん(サッカー選手)、福原愛さん(卓球選手)、西島隆弘さん(アーティスト)などがいらっしゃいます。

引用:Instagram

本田真凜さんは高校2年生の7月、日本航空にアイススケート部が設立されたのを機に所属契約されました。

引用:Instagram

高校時代は、グランプリシリーズファイナルに進出できなかったり、全日本選手権でもおもうような結果が出せず、悔しさが残る3年間でした。

大学時代

本田真凜さんは

明治大学

に通い、スケート部に所属していました。

大学2年生では、シニアになってから初めて地区予選を体験します。

地区予選の結果を受け、全日本選手権への切符を掴んだ本田真凜さんは、同大会に9年連続で出場しました。

しかし順位が伸びず、現役最後である大学4年生の時の全日本選手権では、ショートプログラムで最下位の28位となり、フリーには進めませんでした。

引用:Instagram

また、本田真凜さんは、競技会の他にアイスショーにも出演しています。

大学4年生の7月には、音楽番組『THE MUSIC DAY 2023』にて、韓国のアイドルグループ「LE SSERAFIM」とコラボレーションしました。

引用:Instagram

本田真凜さんはLE SSERAFIMの大ファンだそうなので、コラボレーションは夢のような一時だったのではないでしょうか。

大学4年生である2024年1月に、記者会見で今シーズンでの引退を明らかにしました。

本田真凜さんは引退について、このように話されています。

この大学4年のタイミングで競技から離れるのはずっと決めていたこと。最後の全日本選手権の前にも体の状態もありつつ、もしかしたらこれが最後だと思っていた。どうしても頑張りたいと思って走り続けた。

引用元:ライブドアニュース

引退後はプロスケーターとして活動することも発表されました。

そして、2024年3月に明治大学を卒業されます。

引用:Instagram

ご自身のInstagramで、充実した大学生活の様子が投稿されました。

選手からプロスケーターへ

本田真凜さんは現役選手を引退し、プロスケーターとして活動されています。

2024年3月には、フジテレビで放送された『世界フィギュアスケート選手権2024』のSPフィールドキャスターとして、現地から中継や取材を行いました。

引用:Instagram

今後は、アイスショーや芸能活動で、本田真凜さんの活躍を見ることができますね!

まとめ

今回は本田真凜さんについてまとめました。

  • 2歳からスケートをはじめる
  • 小学4年生の時に初出場した全日本ノービス選手権で銀メダルを獲得
  • 中学2年生で初出場した世界ジュニア選手権で金メダルを獲得
  • 中学3年生の時には全日本ジュニア選手権で銅メダルを獲得
  • 全日本選手権は9年連続で出場
  • 2024年にプロスケーターに転向

ということがわかりました。

本田真凜さんは、物心つく前からスケートリンクに立ち、スケートと共に歩んでこられました。

現役選手を引退されても、メディアやアイスショーなどで活躍する姿が見られることでしょう。

これからも本田真凜さんの活動を楽しみにしたいと思います!

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