すごく可愛いお顔をされている清水梨沙(しみず りさ)さん
なでしこジャパンで活躍されているサッカー選手です。
サッカー選手に見えないですね!
そんな清水梨沙さんの生い立ちについて取り上げてみました。
清水梨沙のプロフィール
名前 | 清水梨沙(しみず りさ) |
愛称 | りっちゃん |
誕生日 | 1996年6月16日 |
年齢 | 28歳(2024年7月時点) |
血液型 | A型 |
身長 | 160cm |
出身 | 兵庫県神戸市 |
所属チーム | ウェストハム |
家族構成 | 父、母、姉、清水さん |
なでしこジャパンの中でも新世代の中心メンバーとして、活躍している清水梨沙さん。
そもそもなぜサッカーをするようになったのでしょうか。
2022年からはサッカーをする場が日本ではなく世界に挑戦していますがなぜでしょう。
色々気になりますね!
清水梨沙の生い立ち
それでは、清水梨沙さんの生い立ちを見ていきましょう!
清水梨沙の幼少期
清水梨沙さんの小学校は
横浜市立黒須田小学校
です。清水梨沙さんは神戸出身ですが、小学校2年生の時に横浜に引っ越しています。
清水梨沙のサッカーを始めたきっかけ
サッカーを始めたきっかけは2つ上の姉の影響です。
姉が公園でサッカーをしている子と知り合いになって自分もサッカーを始めたことに、そもそものきっかけがあったという。公園という場所が清水のプレースタイルの礎となり、またサッカーとの出合いを提供したのだ。
引用:冬の大会特集
小学校1年生の時に姉の影響でサッカーを始めた清水梨沙さんは、当初「神戸コスモFC」というチームに所属していましたが、引っ越しをした為「FCすすき野レディース」に移りました。
清水梨沙さんはお姉さんについて
お姉ちゃんがサッカーをやっていなかったら、自分もやっていなかったので、今の自分があるのはお姉ちゃんのおかげです。
引用:スカイA
と思っています。
清水梨沙さんのお姉さんがサッカーをしていなかったら清水梨沙さんもサッカーをしていなかったかもしれませんね!
活発な女の子だった
清水梨沙さんは当時からスピードや持久力に自信を持っていたそうです。
しかし、それらはFCすすき野レディースでのサッカーのトレーニングだけで培われたものではないと語っています。
「本当にやんちゃだった」という小学生時代、彼女は学校からの帰宅途中に公園に立ち寄ったり、帰宅後すぐに公園に遊びに行ったりして、夜遅くなるまで走り回っていた。そうやって毎日、全力で遊んでいるうちに、自然と体力やスピードが養われていった。
引用:冬の大会特集
普段の遊びなどで清水梨沙さんはサッカーに必要なスピードや持久力を鍛えていたんですね。
清水理沙の活躍
小学校5年時にはU─12の関東大会にFWとして出場し、エースとして活躍しました。
優勝の原動力となった、清水梨沙さんを指導していた同じチームの吉村望さんは
「足が速く、周りから『あの足の速さはスピード違反』と言われていたね」
と話していました。
清水梨沙さんは全力で試合に臨む選手で、準決勝から決勝までの間に昼寝していた姿が思い出されると吉村さんは言います。
小学生が次の試合に向け体力を充電しようとする姿に驚いたとの事。
小学生が自主的にそういった事はしないんでしょうね。
「ここまで活躍すると思っていなかったが卒業時にもらったメッセージには『学んだ事を生かしなでしこジャパンに入っています』とすでに代表入りが書かれていたそうです。
清水梨沙さんは、なでしこジャパンが幼いながら夢だったのかもしれせんね。
母親からサッカーを辞めていいよと言われた
昔から頑張り屋さんで、小学6年生の暑い夏の話です。
上級生がいなくなって、自分が頑張らなきゃと気負いすぎて清水梨沙さんは大会前に吐いてしまいました。
その姿を見た清水梨沙さんのお母さんは、がすごくかわいそうに思い、サッカーをやめていいよって言ったそうです。
しかし、日陰で横になってお水を飲んで落ち着いて、その後、試合に出ました。
それを見たお母さんは、能天気な子だと思っていたけど、負けたくない、自分がしっかりしないとって気持ちが強いと知ったそうです。
プレッシャーで体調を崩しても、試合に出るのはすごいですね。
清水梨沙の中学時代
中学校は、
横浜市立あざみ野中学校
でした。
12歳の時に日テレ・ベレーザの下部組織となる日テレ・メニーナに加入しました。
所属していたFCすすき野レディースからメニーナに進んだ先輩がいたこともあって、清水本人にとっても身近な存在であり、また憧れの存在だったという。「ここに入ってサッカーがしたい」。その思いで受けたセレクションに見事合格し、清水は2009年、晴れてメニーナの一員になった。
引用:冬の大会特集
メニーナの練習はかなりきつかったそうです。
所属している選手は、中学1年生から高校3年生まで一緒に練習するのですが、走るメニューも中学1年生と高校3年生がほぼ同じタイム設定でした。
「メニーナは中学1年生から高校3年生まで一緒に練習するんですが、走るメニューも中学1年生と高校3年生がほぼ同じタイム設定なんです。高校3年生のめちゃめちゃ走れる先輩に、私や(長谷川)唯、(籾木)結花、(土光)真代など、中学1年の小さい子たちが後先を考えず、ただただ負けず嫌いを発揮して必死に食らいついていく、みたいな感じでした。
引用:冬の大会特集
中学1年生と高校3年生の差は6年もあるが、同じメニューをこなすということは中学1年生からすると大変ですね。
このようなトレーニングで体力やスピードを鍛えた清水梨沙さんは2010年1月に全日本女子ユース(U-18)サッカー選手権大会(現JFA 全日本 U-18 女子サッカー選手権大会 JOC ジュニアオリンピックカップ)の第13回大会に出場しました。
ポジション変更
清水梨沙さんは日本を代表する右サイドバックだが、中学1年時の清水梨沙さんはMF登録していました。
小学生時代はFWだったが、この頃は主にサイドハーフで「とにかく走って、ただ頑張るだけの選手だった」そうです。
また、レギュラーではなく、出場もグループステージの第1節と第3節で途中出場したのみでした。
中学2年生の時に当時監督だった寺谷真由美さんにMFからサンドバックに変更と指示を受けました。
サイドバックは素人だったので、最初はつきっきりで指導していただきました。でも、自分の特徴であるスピードや持久力を生かしたいと思っていたので、それにぴったりのポジションだったし、サイドバックになって本当に良かったと思っています
引用:冬の大会特集
急に自分のポジションが変わるのは大変ですね。
しかし、レギュラーとして活躍するという事はかなり努力されたのではないでしょうか。
清水梨沙の高校時代
高校は
神奈川県立元石川高等学校
でした。
意外にも高校生活ではサッカーの話はあまりしなかったとインタビューで語っています。
ほとんど学校ではサッカーの話をしなかったです。今年のお正月(皇后杯の優勝)は友達やクラスメイトが、結構テレビで見てくれていたみたいなんですけど、普段は全くサッカーの話はしないで、普通に学校生活を送っていました。
引用:スカイA
清水梨沙さんは、高校2年生の時に日テレ・ベレーザに昇格しました。
高校2年生となった2013年、清水は日テレ・ベレーザへの昇格を果たし、なでしこリーグに主戦場を移す。
引用:JFA.jp
シーズン中はなでしこリーグやカップ戦などの様々な試合に出場し、年代別代表にも参加するなどメニーナにいた頃よりも更にハードなスケジュールをこなしていました。
それでも、年始早々に行われる全日本女子ユースにはメニーナの一員として参加をしていました。
それが清水梨沙さんにとって楽しみの一つだったようです。
清水梨沙の大学時代
大学は
国士舘大学
でした。
大学在学中に行われたAFC U-19女子選手権は、清水梨沙さんは全3試合にフル出場されました。
また同じ年には日テレ・べレーザはリーグ優勝しています。
清水梨沙さんはシーズンを通して全試合に出場しています。
骨折をする
実は試合期間中に、左鎖骨を骨折し、全治3カ月の診断を受けました清水梨沙さん。
ボルトで固定する手術とリハビリを頑張り、45日後の試合に出場していました。
サイドバックというポジションは、守りの最終ラインという相手の猛攻を防ぐ、“最後の砦”ですから、不安はありましたが、ケガを理由にはしたくなかったので、いつも通りのプレーに徹しました。もともと足首のねんざが多く、ウォーミングアップではチューブを使って足首の強化に努めています。
引用:スポ魂
手術やリハビリをして全治3ヶ月と言われていたのに、45日後に試合に出るのはすごいですね!
清水梨沙の現在
2019年 FIFA女子ワールドカップ 出場→ベスト16
2021年 東京オリンピック 出場→メダル獲得ならず。
2022年にはイングランドの最上位リーグである
FA WSL所属のウェストハム・ユナイテッドFCウィメンに移籍する事に決定しています。
契約期間は2年間です。
最初は「海外志向ではなかった」そうですが、東京オリンピックの敗退がきっかけで海外移籍のきっかけでした。
まとめ
清水梨沙さんの生い立ちについてまとめました。
- サッカーを始めたきっかけはお姉さん
- 12歳の時に日テレ・ベレーザの下部組織となる日テレ・メニーナに加入
- 高校の時はあまりサッカーの話をしなかった
- 高校2年生の時に日テレ・ベレーザに昇格
- 大学在学中に骨折をした
- FA WSL所属のウェストハム・ユナイテッドFCウィメンに移籍する
という事が分かりました。
移籍も決まり、これからは海外でもたくさん活躍してほしいですね!
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