演技派女優で有名な石原さとみさん。
出産する前もした後も、常にテレビで引っ張りだこの彼女はなぜ女優になったのでしょうか?
今回は石原さとみさんの生い立ちについて取り上げていきます!
石原さとみのプロフィール
名前 | 石原さとみ(いしはら さとみ) |
誕生日 | 1986年12月24日 |
年齢 | 37歳(2024年7月現在) |
血液型 | A型 |
身長 | 157cm |
出身 | 東京都 |
所属事務所 | ホリプロ |
家族構成 | 父、母、兄、石原さん |
石原さとみさんは早くから芸能界入りしていますが、いつブレイクしたのでしょうか?
調べていくと今まで挫折を味わっていたり、石原さとみさんなりにその挫折を乗り越えたりしています。
どんなものだったのか深掘りしていきます。
石原さとみの生い立ち
それでは、石原さとみさんの生い立ちを見ていきましょう!
幼少期
石原さとみさんの幼稚園は
明泉幼稚園
でした。ただ公表はされていません。
しかし、ネットではここではないかと噂されています。
5~6歳の頃。「幼稚園の年長さんのときの先生が大好きで、ずっとくっついていました」
引用:子供応援便り
石原さとみさんは小さい頃もすごく可愛かったんでしょうね。
石原さとみさんの小学校は
東京創価小学校
でした、ただこれも公表されていません。
しかし石原さとみさんの両親が、創価学会に関する仕事をしていた為この小学校に入学したのではないか。と言われています。
石原さとみさんは小学校の頃から習い事をかなりしていました。
しかし、上記の写真にある通り勉強はあまり好きではなかったようです。
- 琴
- ピアノ
- バレエ
- クラシックバレエ
- ダンス
- テニス
- バレーボール
- バスケ
- 器械体操
- 水泳
- 習字
- 公文
なんとその数、12個の習い事をしていました。すごいですね!!
とにかく習い事をたくさんしていました。お琴とピアノは母に勧められて6歳で始め、その後、クラシックバレエ、ヒップホップダンスは自分からお願いして習わせてもらいました。他にも、楽器や球技など、とにかく好奇心旺盛な女の子でした。やりたいことは何でもやらせてくれました。
引用:子ども応援便り
習い事の数はかなり多いですが、何でも挑戦させてくれるのはすごくいい環境ですね!
また、ここまで習い事をしているとお友達との時間がないのでは?という質問に、
学校の外で遊びまわる時間はなくても、友達とは交換ノートをしていましたし、教室では好きなアーティストやマンガの話でいつも盛り上がっていました。マンガに影響されて、「あんな恋がしたいよねえ!」とか。
引用:子ども応援便り
また石原さとみさんは、小学5年生と6年生の時の担任の先生が若くて愛のある先生だったとインタビューで語っています。
友達の悪口や無視をしたりする生徒にはかなり厳しい先生でした。
この担任の先生のおかげで、習い事をたくさんしていて友達との時間も少なかった石原さとみさんもクラスに馴染めていたかもしれませんね。
小学生の時の将来の夢
石原さとみさんは、小学生の頃には女優という職業を意識していたみたいです。
小学校の卒業文集には、将来の夢の欄に「ラジオパーソナリティ」と書いているんです。母がラジオが好きで、車の中でもよく聞いていました。6年生の時に、テレビドラマで藤原紀香さんがラジオパーソナリティの役をやっているのを見て、「女優になると、ラジオパーソナリティもできるんだ!」と思ったのです。今思えば完全に勘違いなんですけどね(笑)
引用:子ども応援便り
勘違いとはいえ、そこから今では日本を代表する女優さんになっているのがすごいですね!
中学時代
石原さとみさんの中学校は
創価中学校
でした。小中高一貫校なのでそのまま石原さとみさんは進学したと思われます。
そして写真にも写っている通り、石原さとみさんの本名は「石神 国子」(いしがみくにこ)さんです。
石原さとみさんは中学生の時かなりモテていたそうです。
中2がピークでした。中2がモテ期で
引用:クランクイン
2人の男子から同時に「好きです!お願いします!」と告白されたり、突然校舎の屋上から“さとみに伝えたことがある~!”と叫んだ男子の先輩が、GLAYの『ずっと2人で…』を弾き語りした後に“好きだー!”と告白された事もあったんだとか。
中学時代、部活は硬式テニス部に所属していました。それに加え習い事も継続していました。
- 琴
- クラシックバレエ
- ダンス
- ピアノ
やはり、習い事の数が減ったとはいえすごいですね!忙しかったんでしょうね。
また中学2年生の時に、オーストラリアにホームステイの経験もあり英語も出来ます。
かなり流暢にお話しされていますね!
今の女優という仕事に活かせていいですね!
スカウトされる
石原さとみさんは、中学生の時にスカウトされています。
一番はじめはスカウトもありました。新宿とか渋谷とかで…」と意外にも最初のきっかけはスカウトだったことを明かした。
引用:ザ・テレビジョン
しかし、石原さとみさんの両親は石原さとみさんがまだ中学生という事もあって猛反対されてしまい断念しました。
高校時代
石原さとみさんの高校は、
創価高等学校
でした。こちらも小中高一貫なのでそのまま進学しています。
高校では部活動はせずに習い事は琴だけをしていました。
芸能界入りする
石原さとみさんは、当時女優の仕事に興味があり、両親を説得して見事、ホリプロ・インプルーブメント・アカデミーの5期生として所属し、本名の石神国子で2作品に出演し、芸能界入りを果たしました。
- ホ・ギ・ラ・ラ
- 船を降りたラ彼女の島
石原さとみさんが本名「石神国子」さんで出演した貴重な作品ですね!
ホリプロタレントスカウトキャラバンに応募する
「高校上がって、女優さんに憧れていたので、諦めきれなくて、母親が諦めさせるために受けさせたのがスカウトキャラバンでした」と母親が落ちると思って受けさせたスカウトキャラバンで“合格してしまった”と石原は明かした。
引用:ザ・テレビジョン
やはりまだお母さんは反対だったんですね。
しかし合格してしまうのが、さすが石原さとみさんですね!
この後、石神国子さんから今の芸名「石原さとみ」に変えました。
私の芸名の「さとみ」は、「聡明で美しい女性でありたい」という思いから当時のチーフマネージャーに付けていただいたものです
引用:子ども応援便り
そして「私のグランパ」という映画で本格的に女優としての道を歩むことになりました。
この作品の演技力が高く評価され、「日本アカデミー賞新人賞」を受賞しました。
ブレイクのきっかけ
映画に出演したり、日本アカデミー賞新人賞を受賞していたりしてますので、ある程度の知名度はあったかもしれません。
しかしさらにブレイクするきっかけとなった作品が、高校2年生の時のNHK朝ドラ「てるてる家族」のヒロインとして出演したことです。
NHK朝ドラはかなり多忙で知られていますが、学業との両立はかなり大変だったと思います。
大学時代
石原さとみさんは既に女優として多忙だったため、大学には進学していません。
挫折を経験
石原さとみさんは、ブレイクした作品「てるてる家族」に出演した以降も数々の作品に出演しています。
しかし、20代の頃に挫折したとインタビューで語っています。
22歳くらいの時には「8年近く続いてた、10社近くの雑誌のレギュラーと、5年近く続いてたラジオのパーソナリティー、ずっと続いてたCMが一気にその年に全部無くなった」と大きな挫折を経験したと振り返った。
引用:Yahoo!ニュース
特に全てなくなった事に原因は無く、この状況に石原さとみさんは
「起きたことに対して、なんかもう求められてないし必要とされてないと思って…完全なる挫折で。そこから泣く日々…1年か1年半ぐらいずっと泣いてましたよ。どうすればいいんだろうって」
と語っていました。今まで当たり前にあった仕事がいきなり何の理由もなく無くなるのは困りますね。
挫折した石原さとみさんがとった行動は、その後お休みをもらいニューヨークに1ヶ月1人旅に出るというものでした。
そこで、「自分の好きだと思っていたものが間違ってないかもしれない」と思える経験を積み重ね、自分の感性を大切にできるようになったとインタビューで語っています。
この気付きがいい転機となり、新たな仕事も決まって「そこから挫折は乗り越えた」との事です。
石原さとみの現在
石原さとみさんは詳しい時期などは公表されていませんが2020年に結婚して、2022年4月に第一子を出産しています。
そして今現在は復帰してまた女優として輝いています。
𠮷田恵輔監督との出会い
「30代に入ったころの私は、どこかで自分に飽きてしまったようでした。自信がなくて、自分がつまらなく思えて。そう感じているということは、きっと世間も同じように感じているだろう」
このように石原さとみさんはインタビューで語っています。
そんな時に出会ったのが𠮷田恵輔監督です。
𠮷田恵輔監督の作る作品は、ドキュメンタリーさながらの生々しい人間描写で石原さとみさんがこれまで出演してきた作品とは違うものでした。
石原さとみさんは、「私にオファーがあまりこないタイプの作品ばかり。だからこそ、𠮷田監督きになら“自分を変えてもらえる”という期待がありました。どんな役でもいいから、監督の作品に出たい」と考えるようになりました。
そしてなんと石原さとみさんは𠮷田恵輔監督に直談判をしたそうです。
最初は「石原さとみさんはメジャーすぎて想像ができない」と断られてしましますが、それから3年後に実現したのが映画「ミッシング」です。
石原さとみさんの役は娘の失踪を機に自分の心を失いながらも希望を求め続けるという役でした。
石原さとみさん自身も子供を出産しており、この役を演じる事の恐怖などが分かりすぎて最初からスランプ状態だったそうです。
役作りとして、髪の毛をあえてボディソープで洗って傷ませたり、ジムを通うのをやめたりして疲弊した母親役を演じようとしていました。
時には演技に熱中しすぎてしまい、「さっきまで私何やってましたか」と記憶が飛んでしまう事もありました。
そんな困難もありながら公開された映画は、公開3週目で7位を記録しました。2024年7月現在も公開中です。
この映画で新たな石原さとみさんが見られるのかもしれませんね。
まとめ
石原さとみさんについてまとめました。
- 小さい頃は習い事を沢山していた。
- 中学生の時にスカウトされるが断った
- 高校生の時に芸能界入りする
- そしてホリプロスカウトキャラバンで見事グランプリをとる
- 「てるてる家族」でブレイクする
- 20代で挫折を味わうが、ニューヨークに1人旅をし乗り越えた
- 33歳で結婚、その2年後に第一子を出産する
- その後、復帰作「ミッシング」という映画は今までの石原さとみさんとは大きく違うものになっている
という事分かりました。
これからさらに新しい石原さとみさんをテレビや映画で見られる事がすごく楽しみですね!
応援していきたいです。
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