浅田真央さんは、フィギュアスケートブームの立役者といわれ、選手を引退してもなお活躍されています。
常に注目を集める浅田真央さんですが、どんな子ども時代を過ごし、スケートに臨んできたのでしょうか。
今回は浅田真央さんについてまとめました。
浅田真央のプロフィール
名前 | 浅田 真央(あさだ まお) |
生年月日 | 1990年9月25日 |
年齢 | 33歳(2024年5月現在) |
血液型 | B型 |
身長 | 163cm |
出身 | 愛知県名古屋市名東区 |
所属事務所 | ヒーローズマネジメント株式会社 |
家族構成 | 父、母(享年48)、姉、本人 |
浅田真央さんの家族のことを調べていると、ご両親の衝撃的な情報がありました。
母親は肝硬変で死去
お母さんは、スケートをする浅田真央さんを、子どもの頃から常にそばで支え続けてきました。
浅田真央さんにとって最大の理解者であるお母さんですが、肝硬変のため、浅田真央さんが20歳の時に亡くなっています。
お母さんは、以前から体調が優れず入退院を繰り返していたそうです。
容態が急変した時、浅田真央さんはグランプリファイナルに出場するため、カナダのケベックにいました。
ファイナルを欠場することを決めすぐに帰国しますが、最期の時には間に合わず、お母さんは48歳で亡くなります。
お母さんが亡くなった3日後に、浅田真央さんはマスコミにむけてこのようにコメントされました。
たくさんの愛を注いでくれたお母さんに、何度「ありがとう」と言っても足りません。やるべきことをしっかりやることが、お母さんも喜んでくれることだと思い、今まで通り練習に励みたいと思います。
引用元:天然生活web
コメント通り、浅田真央さんは告別式の翌日には中京大のリンクで練習を始め、2週間後の全日本選手権に出場します。
父親との関係
ご両親は、浅田真央さんが幼少期の頃からよく喧嘩していたそうで、お父さんとは一緒に暮らしていない時期もあったそうです。
お母さんが亡くなってからは、お父さんが浅田真央さんの練習時の送迎をしていたりなど、父娘の関係は良好でした。
しかしお父さんは、お母さんが亡くなった後に交際していた女性に対する暴行で、逮捕されています。
浅田真央さんはその事実に怒り、1年半ほど連絡を断っていたそうですが、
とある方から“世界に1人しかいないお父さんだから許してあげて”と言われて、そうだな、と
引用元:ウーマンエキサイト
と、2020年に放送された情報番組『とくダネ!』で心境を明かされていました。
その後はお父さんを大事にしているそうで、お父さんの還暦のお祝いに京都旅行に行ったり、浅田真央さんのアイスショーに来てもらったりしているそうです。
姉・浅田舞
浅田真央さんのお姉さんは、元フィギュアスケート選手の浅田舞さんです。
浅田真央さんはお姉さんと仲が良く、
- 一緒に旅行に行く
- お姉さんが浅田真央さんのアイスショーを観にくる
- 一緒に小学生対象のスケート教室を開催する
- 姉妹で雑誌の表紙を飾る
など、今でもお2人で活躍する姿を見ることができます。
姉妹で仲が良く、今も活躍している姿がメディアやSNSで見られることは嬉しいですよね。
名前の由来
浅田真央さんの名前は、女優の大地真央さんのファンだったお父さんが名付けたそうです。
お姉さんの舞さんの名前の由来も気になり調べてみましたが、情報がなくわかりませんでした。
浅田真央の生い立ち
浅田真央さんの生い立ちをまとめました。
5歳からスケートをはじめる
浅田真央さんは、お母さんがバレエが好きだった影響で、3歳の頃からクラシックバレエを始めます。
スケートは、バレエで使う足首を鍛えるために始めたそうで、5歳の時にお姉さんと共にスケートクラブに入会しました。
当時入会したクラブには、安藤美姫さんも在籍していたそうです。
スケートを始めた時のことを、浅田真央さんはインタビューでこのように話されています。
5歳だった。ヘルメットをして、スキーウエアで膝あてをした写真が残っている。いくつも技ができるようになり楽しかった。
引用元:読売新聞オンライン
この写真は、初めてスケートリンクに立った日に撮ったそうです。
お母さんはスケートのことを詳しく知らなかったそうですが、トレーニングの本を買ったり、選手の映像を見て研究したりと、浅田真央さんのことを献身的に支えました。
小学校時代
浅田真央さんは
名古屋市立高針小学校
に通っていました。
小学生になると毎日のようにスケートリンクに通います。
一般のお客さんに混ざり、少しでもスペースがあればジャンプを跳んでいたそうです。
小学3年生の時には、全日本ノービス選手権に初出場し6位に入賞、そして翌年の小学4年生で優勝しました。
小学5年生になると、グランプリ東海フィギュアスケーティングクラブに入会し、山田満知子さん・樋口美穂子さんの指導を受けます。
山田さんは、当時の浅田真央さんについて、
今までたくさんの子どもを教えているんですけれど、もうダントツ、一番ですよね。ずば抜けていました。集中力、ジャンプ力……。運動能力から柔軟性、美しさ、音楽の表現、もうすべてを持っていた。
引用元:天然生活web
と明かされました。
練習も熱心ですし、楽しそうに滑っていましたし、申し分のない子。
それにね、気は強かった。
引用元:天然生活web
とも話されています。
浅田真央さんは小学6年生ながら、特例でシニアの全日本選手権に出場しました。
そこで、3回転-3回転-3回転のコンビネーションジャンプを成功させたことにより、世間の注目を集めます。
「天才少女」と謳われた浅田真央さんは、小学校の卒業式で、
私は将来オリンピックで金メダルを取れるように、中学校に行っても毎日スケートを頑張りたいと思います。
引用元:天然生活web
と、将来の夢を明言しました。
中学校時代
浅田真央さんは
名古屋市立高針台中学校
に通っていました。
中学校時代は、小学校の卒業式で明言した通りスケートに打ち込みます。
浅田真央さんは、中学2年生の時に出場した全日本ジュニア選手権で優勝し、初出場した世界ジュニア選手権ではトリプルアクセルを大会史上初めて成功させて、優勝しました。
中学3年生で出場した全日本選手権では、2度のトリプルアクセルを女子シングル史上初めて成功させています。
初出場したグランプリシリーズで優勝するなどの成績をふまえ、トリノオリンピックへの出場に期待が高まりましたが、国際スケート連盟が定めている年齢制限に87日足りず、出場できませんでした。
高校時代
浅田真央さんは
中京大学附属中京高等学校
にスポーツ推薦で進学しました。
中京高校は私立の共学高校で、スケート部や硬式野球部などの強豪校として全国的に有名です。
卒業生には、安藤美姫さん、小塚崇彦さん、村上佳菜子さん、宇野昌磨さんなどがいらっしゃいます。
浅田真央さんは高校1年生の時に拠点をアメリカにうつしますが、学業もおろそかにせず、競技と両立させていました。
高校1年生で初出場したNHK杯では、歴代最高得点をだし優勝しています。
そして、同年の全日本選手権でも初優勝しています。
高校3年生の時に出場した世界選手権では、ライバルのキム・ヨナ選手との戦いに勝ち、初優勝しました。
浅田真央さんは、シニアの競技に出場するようになってから、それまでは楽しかったスケートが心から楽しいと思えなくなっていたそうです。
世間に注目され、期待されることは嬉しいことだと思いますが、その分プレッシャーははかりしれません。
ライバルのキム・ヨナ選手との戦いは毎競技白熱していましたし、金メダル獲得の重圧に耐えての出場だったのでしょうね。
大学時代
浅田真央さんは
中京大学 体育学部
に通っていました。
高校から内部進学しており、中京高校の卒業生であった前述した4名も、内部進学しています。
浅田真央さんは、この頃すでに人気を博していたので、入学した時には大学内外で広く話題になったそうです。
大学1年生の時にはバンクーバーオリンピックに出場し、銀メダルを獲得しましたが、競技中にミスがあり悔し涙を流します。
また、ライバルであるキム・ヨナ選手が金メダルを獲得していますので、余計に悔しかったのではないでしょうか。
浅田真央さんは、2014年に開催されるソチオリンピックに集中するため、4年生の春に大学を休学します。
ソチオリンピックでは、ショートプログラムでトリプルアクセルで転倒するなどのミスがありましたが、翌日のフリーでは自己ベストの演技をし、感動をうみました。
結果、総合で6位入賞でしたが、バンクーバーオリンピックに続きトリプルアクセルの成功は2大会連続で、女子シングル史上初となりました。
同年に開催された世界選手権では、歴代最高得点をだし優勝、通算3度の世界選手権制覇を日本人選手では初めて達成しました。
写真は、世界選手権女子優勝者の浅田真央さんと男子優勝者の羽生結弦さんが、エキシビションのオープニングで手をつないですべるところを撮ったものです。
お2人ともいい表情をされていますよね!
ソチオリンピックでは、思うような演技と結果が出せなかったので、歴代最高得点での優勝は浅田真央さんにとってとても嬉しかったでしょうし、笑顔が輝いています!
世界選手権を終え、浅田真央さんは1年間競技を休養することを発表しました。
その間大学に復学し、充実した大学生活を送りながら、24歳で6年間の大学生活を終えます。
浅田真央さんの卒業式を多くのメディアが取り上げ、話題になりました。
選手からプロスケーターへ
浅田真央さんは、2016年に開催された全日本選手権に出場した後、フィギュアスケート選手を引退しました。
その後は、プロスケーターとしてアイスショーを全国各地で開催したり、CMや雑誌、テレビ出演などのタレント活動も行っています。
また、小学5年生の音楽の教科書に浅田真央さんが掲載されると、ファンの方がXでポストし、盛り上がりました。
2023年3月には、長年の夢であった自分のスケートリンクをつくる「MAO RINK PROJECT」の発表がありました。
浅田真央さんご自身のInstagramで、このように書かれています。
5歳からフィギュアスケートを始め、フィギュアスケートと共に歩んできました。
引用元:Instagram
MAO RINK PROJECTはフィギュアスケートへの恩返しと第2の人生をかけた新たな挑戦です。
MAO RINKは子どもから大人まで皆様が楽しむことができ、思い出に残る、笑顔溢れる場所にしたいです。
そして、その先に世界に飛び立って活躍できるスケーターを育てたいです。
2024年の秋に、東京都立川市に設立するそうです。
完成が楽しみですね!
浅田真央の愛犬エアロ
浅田真央さんのことを調べていくと、愛犬エアロについての情報が多々ありました。
浅田真央さんのファンの間では有名ですよね!
2005年に開催された世界ジュニア選手権で優勝したことをきっかけに、浅田真央さんはトイプードルを家族に迎え、「エアロ」と名付けます。
浅田真央さんは愛犬エアロを溺愛しており、たびたびメディアで共演してきました。
ファンの方々も、浅田真央さんとともにエアロのことも気にかけているので、メディアやご本人のInstagramでエアロとの写真が投稿されると、「エアロ元気で良かった」「相変わらずかわいい」という喜びの声があがっています。
公の場での初めての共演は、2007年1月に開催されたジャパン・スーパーチャレンジの限定プログラムです。
当時16歳だった浅田真央さんは、エアロを抱きながら『オズの魔法使い』のドロシーを演じ、『Over the Rainbow』の音楽でエアロと一緒に舞います。
この共演には、「かわいすぎる」と言う声が続出し、話題になりました。
2007年7月には、ネスレのチョコレート菓子「エアロ」の記者会見に、お姉さんと愛犬エアロと共に出席します。
浅田真央さんは、チョコレート菓子「エアロ」が大好物で、それが愛犬の名前の由来になったそうです。
また、「エアロ」のキャラクター「エアロちゃん」のぬいぐるみやストラップキーホルダーも、当時発売されました。
2019年には、浅田真央さんがアンバサダーを務める寝具メーカー「エアウィーヴ」の新商品発表会に、愛犬エアロと共に出席します。
新商品は小型犬用のマットレスで、浅田真央さんがエアウィーブの社長に直談判したことで商品の開発に至りました。
平昌五輪金メダリストのザギトワ(ロシア)の秋田犬の愛犬マサルへ同社が専用マットレスをプレゼントしたことが話題となり、高岡社長に「社長、マサルよりエアロの方が100パーセント長くエアウィーヴを愛用してますよ!」と、アピール。社長が快諾し、小型犬用のマットレスが実現した。
引用元:デイリースポーツ
商品名は「エアロウィーヴ」で、エアロはエアロウィーヴ宣伝部長に任命されました。
なんてかわいい宣伝部長でしょう!
愛犬のためのマットレスが誕生し、その商品名が愛犬の名前になるのは、全愛犬家にとって夢のようなおはなしです!
最後の写真は、2021年に投稿された浅田真央さんのInstagramでの1枚です。
久しぶりのエアロの姿に、「元気そうでよかった」というコメントが続出しました。
エアロをみつめる浅田真央さんが、愛に満ちあふれた穏やかな表情をされていて、とても素敵な写真ですよね。
エアロがこれからも元気で、浅田真央さんのそばにいられることを願っています。
まとめ
今回は浅田真央さんについてまとめました。
- 5歳からスケートをはじめる
- 小学6年生で天才少女と呼ばれ注目を集める
- フィギュアスケートブームの立役者
- 女子では史上最年少の14歳でトリプルアクセルを成功させる
- 20歳の時に最愛の母を亡くす
- 数多くの大会で金メダルを獲得
- 2017年にプロスケーターに転向
- 愛犬エアロを溺愛する
国民的な人気を博す浅田真央さんは、その期待にこたえるために素晴らしい演技を見せてくださいました。
しかし、はかりしれないプレッシャーと重圧もあったことと思います。
重圧から解放され、スケートをはじめた頃の「心から楽しい」気持ちで、現在プロスケーターとして活動されていることでしょう。
これからの浅田真央さんの活躍も楽しみにしています!
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