常に映画やドラマ、舞台など女優のトップを走り続ける江口のりこ(えぐちのりこ)さん。
今回はそんな江口のりこさんの生い立ちについて取り上げます!
江口のりこのプロフィール

名前 | 江口のりこ(えぐち のりこ) |
誕生日 | 1980年4月29日 |
年齢 | 44歳(2024年5月時点) |
血液型 | O型 |
身長 | 170cm |
出身 | 兵庫県飾磨郡夢前町(現:姫路市) |
所属事務所 | 劇団東京乾電池 |
家族構成 | 父、母、兄2人、姉(双子)、妹 |
江口のりこさんは目立った演技、主役というよりは脇役の方が多いですが、
なぜか目に入ってしまう、目で追ってしまうような演技をする方です。
江口のりこの生い立ち

それでは江口のりこさんの生い立ちを見ていきましょう!
江口のりこの幼少期
江口のりこさんの出身小学校は公表されていません。
ただネットでは
- 夢前町立莇野小学校
- 夢前町立菅生小学校
- 夢前町立上管小学校
この3校のうちのどれかではないかと噂になっています。
江口のりこさんは小学4年生の時に加古川市から夢前町へと転居しています。
小学校3~4年生のころに転校したのですが、それ以前に住んでいた街がすごく好きで。引っ越してきたとき、なんでここに住むの!? と思ってしまって。友だちには恵まれたんですけど、義務教育が終わる中学を卒業したら街を出よう! と小学校高学年のときに既に決めていました」
引用:大人のおしゃれ手帖web
小学校高学年でもう街を出るなんて考えるなんてすごいですね!

転居理由は明らかになっていません。
また江口のりこさんは小さい頃は活発な女の子でした。
近所のお兄ちゃんやお姉ちゃんと、一緒にドッジボールしたりとか、田んぼに秘密基地を作ったり、探検しに行ったり。とにかく外で、大人数で遊ぶのがすごく好きでしたね。
引用:CHAMTO
他にも虫、たとえばカエルも触ったりするのは平気だったようです。
兄弟も多いですし、毎日にぎやかで楽しそうですね!
江口のりこの中学時代時代

江口のりこさんの出身中学校は
夢前町立菅野中学校 ※現在は姫路市立菅野中学校
これも小学校と同様で公表されていませんでした。ネットではここが有力です。
制服を着ている写真があるのでそこから推測したかもしれませんね。
また中学校の頃は、陸上部に入部しました。

800メートル走で、表彰状もけっこうたくさんもらいました。先生が怖くて、一生懸命やらされていましたね。いつもやめたいと思っていました。
引用:ヨミドクタ
ただ走るのは早いが、運動神経は良くないとの事です。
江口のりこの高校・大学時代
江口のりこさんは高校にも大学にも進学していません。
高校に行っていないのは珍しいですよね!
のちにこう語っています。
中学卒業後は高校へは進学せず、アルバイト生活を送っていた江口。「うちは兄弟5人でお小遣いとかもなかったので、中学までが義務教育ならそれが終わったらもう自由に働いて、お金を自分で稼いで、好きなことしたほうがいいなと思ったので」と高校進学をしなかった理由について語った。
引用:スポニチ
家族も高校に行かない事に対して、何も言わなかったそうです。
中学を卒業してから地元でバイトを3年間していました。
バイトは何をやっても長続いしませんでした。
一番初めにしたのはうどん屋さん。1ヶ月しか続きませんでした。
その次は、カラオケ屋さん。2ヶ月半しか続きませんでした。
その次はレストランのウエイトレスです。ここは3ヶ月続きました。
理由は、常連さんの中にすごく素敵な土木作業員の男の子がいたから。勇気を出して「好きです」と書いた手紙を渡したものの、その現場の工事期間が終わって彼らが来なくなり、思いは成就せず。それを機に、私も店を辞めてしまいました。わかりやすいですね。(笑)
引用:女性公論
その後も、洋服屋やレコード屋など地元のお店を転々としましたがどれも1〜2ヶ月しか続きませんでした。
アルバイトをしている期間、地元の友達と話したり、遊んだりという事は一切ありませんでした。
かつての同級生が制服姿で自転車に乗って楽しそうに通学しているのを見ると
恥ずかしくなりヘルメットで顔を隠して気付かないふりをしていました。
私は自分で選んでアルバイトをしていたわけですが、「今のどっちつかずの自分を見られるのは恥ずかしい」という思いは常に自分の中にありました。
引用:女性公論
確かに自分以外のみんなが楽しそうに学校に通学しているのを見ると複雑な気持ちになりますね。
芸能界に入ったきっかけ
中学3年生になると進学のために陸上の仲間は1学期で部活を辞めてしまいました。
高校に進学するつもりが無かった江口のりこさんはつまらない日々を送っていました。
「近くに映画館もなかったので、テレビで映画を観ることだけが楽しみでした。そこから、“いつか役者になりたい”と思うようになって、“どうやったら役者になれるだろう?”って考えて……。漠然と“劇団に入ればいいのかな”とは思ったけれど、舞台を観たこともなかったから、とりあえず、図書館でいろんな戯曲を手に取ってみたんです」
引用:AERAdot.
そこで「これだったら、私も演じてみたい」という作品に出会う事が出来ました。
作者は岩松了さん。

岩松さんがかつて所属していた東京乾電池なら、
「私にも何かいいことあるかも」と思い、18歳のときに東京乾電池のオーディションを受けました。
「審査員の人たちがみんなやる気がなさそうで、それを見て、『あ、私はここに向いている』って直感して(笑)。実際、無事合格しました」
引用:AERA dot.
“やる気がなさそう“というのは、面白い見方ですね!
ついに兵庫県から上京!
江口のりこさんが上京したのは、19歳の時。
最初の1年は仕事もお金も無かったので新聞配達をしていました。
当時、江口のりこさんは住み込みでご飯もでる、自分のペースで出来る新聞配達が合っていました。
新聞配達の仕事を見つけて、住み込みだったので助かりました。1年間やって、奨学金というのをもらえるんですね、当時で60万円。劇団への入所金があって、それを(新聞販売店の)所長から前借りしてたんですね。差し引いて48万円もらって、アパートを探して」と上京してからの生活を語った
引用:スポーツ報知
新聞配達のアルバイトは1年間続きました。その奨学金をもらったタイミングで正式な劇団員になれました。
その後は芝居に専念するために新聞配達のアルバイトを辞め、そこからは決まったアルバイトはせずにやっていくと決めました。
アルバイトをしてしまうと急なオーディションに参加出来ないため、日雇いの交通量調査などを結構していたとの事です。
また、その当時住んでいた所の家賃は“2万7000円“で、お風呂なし、トイレが共同でした。
お風呂は銭湯に通ってましたけど、400円くらいするんですね、400円あったら温かくておいしいもの食べられるので、あまり(銭湯に)行ってなかったですね。ほとんどお風呂に入ってなかったですね、その時の私
引用:スポーツ報知
ここには5年ほど住んでいました。
また自炊も当時は全くしていなかったそうです。
何かわからない物体が周りに落ちていた。何だろうと思ったら、ネズミかゴキブリのフンだったりするわけで…」と回顧。
引用:テレ朝NEWS
自炊をするならそこそこ綺麗な家で。と決めていました。
今は自分の作る料理が一番美味しいかもとアピールしていました。
次に住んだ所は、お風呂付きの6畳間ほどのお部屋でした。
ガスコンロも2口あり、この頃からようやく自炊をするようになりました。
毎日お風呂に入るのが憧れだったそうで、お風呂で過ごす至福の時間は
本を読んだりご飯を食べたりすることだと告白していました。
江口のりこ大ブレイク!
江口のりこさんは2001年には、ドラマ「こちら本池上署」で初出演を果たします。
その1年後には、「金融破滅ニッポン 桃源郷の人々」で映画初出演をします。
2006年の「時効警察」でだんだんと注目されるようになります。

その後も、色んなドラマなどに出演しましたが、
「半沢直樹」に出演したことをきっかけに大ブレイク!その後の役の幅も一気に広がりました。
しかし、江口のりこさんはのちにこう語っています。
「ブレイクしたと言われたりしますが、そんな実感はまったくないです。これまでもそれなりに働いてきたので急に忙しくなったみたいなことはないです。
以前と何が違うかといえば、自分が出演した作品の視聴率がよかったりしたので、見てくれた人が多かったということだと思います。私自身は何も変わらず、現場に行って芝居をするだけです」
引用:週刊女性PRIME
さすが!といった考え方ですね。ブレイクするとやはり嬉しかったり、という感情が
出てくると思いますが、この落ち着いた様子はすごいですね!
まとめ
江口のりこさんの生い立ちについてまとめました。
- 幼少期に引っ越しする
- 中学校は陸上部だった
- 高校と大学には進学しなかった
- お風呂なし、トイレ共同の安い所に住んでいた
- 今は自炊やお風呂の時間も楽しんでいる
- ドラマ「半沢直樹」で大ブレイク!
という事が分かりました。
これからさらに演技力も高くなっていくであろう、江口のりこさん。
江口のりこさんのこれからを応援していきたいですね!
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