羽生結弦さんは、オリンピックや世界選手権などの大会で数々のメダルを獲得しているフィギュアスケーターです。
記録をぬり替え続け、偉業を成し遂げてきた羽生結弦さんは、どのような子どもで、どのようにスケートと向き合ってきたのでしょうか。
今回は、羽生結弦さんの生い立ちをまとめました。
羽生結弦のプロフィール
名前 | 羽生 結弦(はにゅう ゆづる) |
愛称 | ゆづ |
生年月日 | 1994年12月7日 |
年齢 | 29歳(2024年5月現在) |
血液型 | B型 |
身長 | 172cm |
出身 | 宮城県仙台市 |
家族構成 | 父、母、姉、本人 |
羽生結弦さんは、宮城県仙台市泉区でうまれます。
4歳年上のお姉さんも、幼少期にフィギュアスケートをしていました。
羽生結弦さんがフィギュアスケートを始めたのは、お姉さんのスクールについていったことがきっかけです。
羽生結弦の名前の由来
羽生結弦さんの名前には、「弓の弦を結ぶように凜と生きてほしい」という想いが込められています。
ご両親が名付けられましたが、羽生結弦さんにぴったりな名前ですよね!
羽生結弦の生い立ち
羽生結弦さんの生い立ちをまとめました。
羽生結弦の幼少期
羽生結弦さんは、ボールで遊ぶことが大好きな少年でした。
公立学校の先生であるお父さんが野球をしていた影響だといわれています。
羽生結弦さんは
鷹乃杜幼稚園
に通っていたそうで、この写真は幼稚園時代のものです。
羽生結弦さんは、明るく元気でやんちゃな子どもでした。
羽生結弦さんのお姉さんがスケートスクールに通っていて、ついて行った時も、そのやんちゃぶりが発揮されています。
お姉さんを指導していて、その後羽生結弦さんの最初の指導者となる山田真実さんは、インタビューで当時のことを話されていました。
仙台市のリンクで結弦のお姉ちゃんを教えていたのですが、その間、リンクサイドでずっと走り回っているやんちゃな子が結弦でした。
引用元:朝日新聞デジタル
走り回っている羽生結弦さんを見て、山田さんは、
そんなに動きたいならスケートスクールに入ったら?
と、お母さんと羽生結弦さんに話したとこから、羽生結弦さんのスケート人生が始まります。
4歳からスケートを始める
山田さんに誘われ、羽生結弦さんは4歳でスケートを始めます。
羽生結弦さんは2歳から気管支喘息を患っており、喘息を克服することがスケートを始めた理由のひとつでもありました。
初めてリンクに入った時のことを、山田さんは、
普通、初めての子はハイハイの姿勢になって、氷に慣れさせてからゆっくり立つのが基本なんです。ただ、彼はそれをぶっ飛ばしてリンクインしました。
引用元:朝日新聞デジタル
と話されています。
また、羽生結弦さんは当初から運動神経が良く、練習しなくても見ただけでできてしまったそうで、
普通は簡単にできない1回転半ジャンプも“やってごらん”って軽い気持ちで言ったら、たった1回で成功。漫画みたいな出来事ですよ。天才です。
引用元:女性自身
と明かされました。
小学生が習得する1回転半ジャンプを、たいして練習していない幼稚園児ができてしまう、まさしく天才ですよね!
山田さんの指導は、羽生結弦さんが4歳から小学2年生の時まで続きます。
写真は、7歳の時に山田さんと撮った1枚です。
当時の羽生結弦さんは、自由に滑って自分のスケートを楽しみたかったため、山田さんの話を聞かなかったこともあったそうです。
その反面、1回転半ジャンプだけでなく、2回転サルコーもスケートを始めて2年で跳べるようになり、羽生結弦さんの才能はすぐに発揮されます。
羽生結弦の小学校時代
羽生結弦さんは
仙台市立七北田小学校
に通っていました。
小学2年生から6年生まで指導していた都築章一郎さんも、羽生結弦さんの才能にすぐ気付きます。
結弦は体幹がしっかりした子で、『才能の片鱗』が見えました。
果敢にジャンプやスピンに挑戦していて、その頃からうまくいけば世界に通用する選手になると思っていました。
引用元:週刊現代
羽生結弦さんは、当時から負けず嫌いで芯が強かったそうです。
そんな羽生結弦さんでも、小学3年生の頃、練習が嫌になったり伸び悩むが時がありました。
お父さんは「嫌なら辞めてもいい」と言ったそうですが、悩んだ末に、スケートを続けることを決意します。
そこからは、努力を重ね、才能が一気に開花しました。
小学4年生の時に全日本ノービス選手権に出場し優勝、初めての金メダルを手にします。
その後、ノービスで国際大会に出場して優勝、国際大会で初出場・初金メダルを獲得しました。
小学5年生では、3回転ジャンプを5種類跳べるようになり、メディアでも「天才少年」と話題になります。
そして、小学校を卒業するまでに全部の3回転ジャンプを習得し、卒業文集に「オリンピックで金メダルをとる」と書かれていました。
羽生結弦の中学校時代
羽生結弦さんは
仙台市立七北田中学校
に通っていました。
中学校時代は、多くの大会に出場するため学校を欠席することが多々あったそうですが、成績は優秀でした。
羽生結弦さんが中学1年生の時には、ノービスの選手でありながら全日本ジュニア選手権に出場します。
そこで3位を獲得し、日本男子史上初めてノービスの選手が表彰台に上がりました。
中学時代で様々な大会を経験し、フィギュアスケーターとして飛躍した羽生結弦さんは、中学3年生の時に、ジュニアグランプリファイナルで史上最年少で優勝します。
また、世界ジュニア選手権では自己ベストを大幅に更新、日本人男子初の中学生で優勝し、日本人4人目の世界ジュニアチャンピオンとなりました。
多忙なため、中学校を欠席する日が多かった羽生結弦さんですが、卒業式の日も学校に行けませんでした。
卒業式と世界ジュニア選手権に出場するために出発する日が、同じ日だったからです。
世界王者となり帰国した羽生結弦さんのために、七北田中学校の先生方の配慮で、ひとりだけの卒業式が開催されました。
この取材で、羽生結弦さんは
文武両道。勉強もスケートも頑張っていきたいです。
引用元:khb東日本放送
と、高校生活での目標を語っています。
羽生結弦の高校時代
羽生結弦さんは
東北高等学校
に通っていました。
東北高校はスポーツの強豪校としても有名で、フィギュアスケートでは荒川静香さんも卒業されています。
羽生結弦さんは、中学校の卒業式で話していたとおり、勉強とスケートの両立をしっかりされていました。
羽生結弦さんの高校生活について、東北高校の五十嵐校長がインタビューにこたえています。
お父さんは『フィギュアだけでなく、勉強もしなければダメだ』と羽生君に常日頃言っていたようで、遠征先にも教科書や参考書を持ち込んで勉強していました。中学のころから成績もよくて、特に理数系が得意でした。お父さんが数学の先生という影響があるのかもしれませんね。
引用元:週刊現代
羽生結弦さんが掲げる「文武両道」は、お父さんの教えでもあったのですね。
高校1年生でシニアデビューをしていますが、高校1年生の3月に東日本大震災で被災、実家も大きな被害を受けます。
家族で避難所生活をする中で、羽生結弦さんは、「スケートをしている場合じゃない」と考えていました。
しかしお母さんが、スケートを練習できる場所を必死に探してくれて、その姿を見て「スケートをやるべきだ」と思ったそうです。
そして、高校2年生の時に初めて出場した世界選手権では、日本男子史上最年少で3位に入賞し、銅メダルを獲得します。
高校3年生の夏からは、ブライアン・オーサーさんを指導者に迎えて、拠点を仙台からカナダのトロントに移します。
羽生結弦の大学時代
羽生結弦さんは
早稲田大学 人間科学部通信教育課程
に進学しました。
高校3年生の時からカナダを拠点としていたため、全日制の学部は難しく、通信制を選んでどこにいても学べる環境をつくります。
大学時代には、ソチオリンピック・平昌オリンピックで2連覇を達成しました。
オリンピックを連覇した2018年には、国民栄誉賞を受賞されています。
羽生結弦さんは史上最年少での受賞となり、大きな話題になりました。
また、いくつもの世界大会で金メダルを獲得するなど、フィギュアスケート選手として素晴らしい功績を残します。
羽生結弦さんは、大学入学から7年半かけて、2020年9月に早稲田大学を卒業されました。
数々の大会で活躍しながらの大学の勉強は本当に大変だったと思いますし、卒業するまで努力し続けられる羽生結弦さんは素晴らしいですよね!
大学卒業後はカナダと日本を拠点にし、怪我に苦しみながらも様々な大会に出場します。
選手からプロスケーターへ
2022年の北京オリンピック出場後、7月に記者会見をひらき、これからは競技会には出場せずプロスケーターに転向することを表明しました。
その後、東京ドームでの単独公演や、単独ツアーなど、プロスケーターとしてアイスショーを開催しています。
また、ブランドアンバサダーを務めていたり、小学校・中学校・高校・大学の教科書に載るなど、スケート以外の分野でも活躍し、羽生結弦さんの影響力の大きさを感じました。
世界中にいる羽生結弦さんのファンの方々も、現在様々な活動をしている羽生結弦さんの活躍をみることができて嬉しいでしょうね。
まとめ
今回は、羽生結弦さんの生い立ちについてまとめました。
- 4歳からスケートをはじめる
- スケートをはじめたのは気管支喘息を克服するため
- 小学4年生でノービスの全日本・国際大会共に金メダルを獲得
- 様々な大会で「史上初」を更新
- 大学時代はオリンピック2連覇を達成
- 2022年からプロスケーターに転向
大学卒業まで文武両道を貫いた羽生結弦さんは、本当に努力を怠らない方なのですね。
だからこそ才能が開花し、数え切れないほどの功績があるのだと思いました。
これからも羽生結弦さんの活躍を応援したいと思います!
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