ドラマや映画で活躍する俳優の長谷川博己さんは、幼少期から映画館に通い詰めるほど映画が好きで、映画監督に憧れていました。
「大学を卒業したら映画監督になりたい」と話していた長谷川博己さんが、俳優の道を選んだきっかけは何だったのでしょうか。
長谷川博己さんの生い立ちをまとめました。
長谷川博己のプロフィール
名前 | 長谷川 博己(はせがわ ひろき) |
愛称 | ハセヒロ、ピロちゃん |
生年月日 | 1977年3月7日 |
年齢 | 47歳(2024年5月現在) |
血液型 | A型 |
身長 | 183 cm |
出身 | 東京都 |
所属事務所 | ヒラタオフィス |
家族構成 | 父(享年81歳)、母、本人、妹 |
長谷川博己さんのお父さんは、建築評論家で武蔵野美術大学名誉教授の長谷川堯さんです。
お父さんは、2019年4月17日に癌のため逝去されました。
また、3歳年下の妹は、聖徳大学短期大学部の准教授で料理家の長谷川弓子さんです。
長谷川博己の生い立ち
長谷川博己さんは、3歳の時にお父さんと一緒に初めて観た映画『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』に驚愕し、それから映画をたくさん観るようになります。
そんな長谷川博己さんの生い立ちをまとめました。
小学校時代
長谷川博己さんは、小学校3年生の時にイギリスで暮らした経験があります。
イギリスではお父さんの仕事の関係で1年間暮らしましたが、学校は日本人学校ではなく、現地の子どもが通う小学校に編入したそうです。
長谷川博己さんは、テレビ番組『日曜の初耳学』で、当時のイギリスでの生活のことを話されていました。
イギリスでの生活は、言葉がわからないことで意思の疎通ができず、また、その地域には様々な人種がいて、恐怖で衝撃的な1年だったそうです。
言葉がわからず日本語を話せない環境は、小学3年生では辛い経験だったでしょうね。
そんな生活の支えとなったのが映画でした。
あるとき、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』をイギリスの映画館で観ます。
そのことをクラスメイトに話すと、「僕も観たよ」と会話が弾んだそうです。
日本の小学生は映画を観たことを会話にはしないけど、イギリスでは小学生も映画について会話ができることに驚きました。
と話され、そのことが今でも印象に残っているそうです。
また、イギリスでの生活を振り返り、
その経験があるから物おじしない性格になった
引用元:NEWSポストセブン
とも話されています。
1年後、家族で日本に帰国し、長谷川博己さんは東京都八王子の小学校に編入しました。
そして、映画館に足繁く通うようになります。
中学校時代
長谷川博己さんが通っていた中学校は公表されていませんが、
明星中学校
に通っていたのではないかと言われています。
明星中学校は私立の中高一貫校で、現在は共学校ですが、長谷川博己さんが通っていた頃は男女別学でした。
長谷川博己さんは、中学校ではバスケットボール部に入部しています。
中学校がバスケの強豪校だったため練習が非常に厳しく、バスケ部では3年間補欠選手でしたが、
辛かった思い出しかない
部活を辞めたいと思いながら続けていて、とてもストレスだった
と、当時の心境を明かされました。
また、中学時代シャイだった長谷川博己さんは、バレンタインのエピソードを聞かれると、
ずっと男子校だったので、そういうものに疎くてもらうことはなかったです。でも、中学校くらいのときに声をかけられて、「えっ、そんなわけない」って思ってその場から走って逃げました
引用元:シネマトゥデイ
と話されています。
長谷川博己さんは現在の身長が183cmなのですが、中学時代は156cm位でした。
高身長のイメージなので少し意外でしたが、高校生になると一気に身長が伸びたそうですよ。
高校時代
長谷川博己さんは、「中高一貫校だった」「ずっと男子校だった」という発言から、
明星高等学校
に通っていたのではないかと思われます。
高校でもバスケ部に入部するように勧められましたが、中学時代の辛かった想いから、「勉強に専念したい」と入部しませんでした。
高校時代には、映画監督に憧れ、1年で100本の映画を観ていたそうです。
大学時代
長谷川博己さんは、映画監督に憧れて日本大学芸術学部を受験しましたが、残念ながら不合格となってしまいます。
1年の浪人生活ののち、
中央大学 文学部
に入学し、フランス文学を学んでいました。
高校時代にはたくさんの映画を観ていた長谷川博己さんですが、大学に入学しても映画好きは変わりません。
大学時代が一番映画を観ていた
と話されていた長谷川博己さんは、京橋の東京国立近代美術館フィルムセンターに毎日のように通い、古い日本映画を観ていたそうです。
大学3年生の時には、就職する前に様々なことを考えるため、西ヨーロッパに2ヶ月間バックパッカーとして放浪の旅に出ます。
映画監督を目指すのか、就職するのかを考えながらの旅だったのですね。
その後、もう一つの選択肢「芝居」と出会うことになります。
俳優を志したきっかけ
映画監督に憧れていた長谷川博己さんが俳優を志すようになったきっかけは、大学4年生の時に出演した舞台でした。
出演できなくなった役者の代役を友達から頼まれて舞台に立ったのが、はじめての芝居となります。
また、ある方の言葉も心に残り、俳優としての一歩を踏み出すきっかけとなりました。
その方とは、大学時代にアルバイトをしていた出版社(マガジンハウス)で、当時原稿を受け取りに行っていたリリー・フランキーさんです。
長谷川博己さんは、リリー・フランキーさんの原稿やイラストができ上がるのを正座して待ちながら、映画の話や将来のことを話したそうです。
そのときに監督志望だって話もしたら、「撮ってみなよ」って話をされてたんですけど、撮る仲間もいないし機材もないしって話をして
引用元:GQ JAPAN
と、長谷川博己さんはインタビューで当時のことを話されています。
また、当時は芝居をすることは考えていませんでしたが、
リリーさんが「君、役者はやる気あるの?とにかく携わった方がいい」
引用元:スポニチ
と、リリー・フランキーさんに言われた言葉が心に残っていることを明かされました。
その後、石井輝男監督の映画『盲獣vs一寸法師』のオーディションに自ら応募して受けますが、残念ながら落選してしまいます。
この尊敬する監督を目の前に自分の芝居を見せるときに緊張しちゃってまったくできなくて、やっぱり役者やるなら訓練が必要だなと思って。自分はそのとき落ちて劇団に入ろうと決めたわけです
引用元:GQ JAPAN
と、その後入座することになる文学座への想いも話されました。
舞台をやったことが経験になってそれがおもしろかったんで、俳優としてやってみるって手もあるかなと思って
引用元:GQ JAPAN
と話されていた長谷川博己さんは、このことがきっかけで、映画監督から俳優へと歩みを進めることになります。
文学座に入座する
大学を卒業した長谷川博己さんは、就職して会社員になります。
しかしその1年後、お父さんに大反対されながら退職し、2001年に文学座の演劇研究所に入所しました。
2002年には初めての舞台『BENT』に出演します。
2004年4月に準座員として入座しました。
2006年4月には準座員から座員に躍進しますが、その後2006年12月で文学座を退座しています。
ドラマ『セカンドバージン』がブレイクのきっかけ
長谷川博己さんは、文学座を退座した後、舞台やドラマに出演します。
当初俳優業に反対していたお父さんも、長谷川博己さんの活躍を応援してくれていたそうです。
そして、2010年のドラマ『セカンドバージン』で17歳年上の女性と不倫する役を演じたことが、ブレイクするきっかけとなりました。
2011年にはドラマ『鈴木先生』で初主演を務めます。
そして、同年のドラマ『家政婦のミタ』では優柔不断でひどい父親役を演じ、更に知名度が上がりました。
その後もドラマ、映画、CMで活躍され、2017年には映画『シン・ゴジラ』で、日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞します。
2020年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』では主演の明智光秀を演じ、話題となりました。
まとめ
今回は長谷川博己さんについてまとめました。
- 幼少期から映画が好きでたくさん観ていた
- 映画監督に憧れていた
- 大学4年生の時の舞台出演が、俳優を志すきっかけになる
- リリー・フランキーの言葉が心に残り、オーディションを受ける
- 文学座に入座する
- ドラマ『セカンドバージン』がブレイクのきっかけとなる
ということがわかりました。
幼少期から映画が大好きで映画監督に憧れていた長谷川博己さんは、様々な役を演じる個性派俳優として高い評価を得ています。
いつか、長谷川博己さんの監督作品を観られる日がくるのではないかと期待しながら、これからも活躍も楽しみにしたいと思います!
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