橋本大輝の生い立ち!幼少期にテレビの解説を覚えるほど体操に夢中だった天才児!

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橋本大輝 生い立ち

橋本大輝さんは、東京オリンピックや世界選手権、全日本選手権などで金メダルを獲得している体操選手です。

6歳から体操をはじめた橋本大輝さんは、どのような学生時代を過ごし、多くの金メダルを獲得する選手になったのでしょうか。

橋本大輝さんの生い立ちをまとめました。

目次

橋本大輝のプロフィール

引用:Instagram
名前橋本 大輝(はしもと だいき)
生年月日2001年8月7日
年齢22歳(2024年6月現在)
血液型非公開
身長167.5cm
出身千葉県成田市
所属セントラルスポーツ株式会社
家族構成父、母、兄、兄、本人、祖父(享年84歳)、祖母

橋本大輝さんにはお兄さんが2人います。

5歳年上の拓哉さん、3歳年上の健吾さんも体操をしており、橋本大輝さんが体操をはじめたのもお兄さんがきっかけでした。

名前の由来

橋本大輝さんは2001年8月7日に生まれました。

8月の暑い盛りに生まれたので、夏の太陽のように輝いてほしいという想いから「大輝」と名付けられます。

名前の通り、数々の輝かしい実績を残している方ですよね!

橋本大輝の生い立ち

引用:Instagram

橋本大輝さんの生い立ちをまとめました。

幼少期

橋本大輝さんは3人兄弟の末っ子で、長男の拓哉さんが入っていた体操クラブに、二男の健吾さんと共に6歳の時に入会します。

入会したのは、千葉県香取市にある「佐原ジュニア体操クラブ」で、廃校になった小学校の体育館を利用した、入会者が10人ほどの小さなクラブです。

橋本大輝さんは幼少期から負けず嫌いで、体操のどんな技でも、

兄ちゃんにできるなら自分もできる!

引用元:エキサイト

と言っていたことを、お父さんが明かしてくれました。

佐原ジュニア体操クラブには、6歳から15歳まで通います。

また、橋本大輝さんは幼い頃は体が弱かったそうで、

大輝は病気ばっかしてたもんで。3、4歳までは1週間のうち5日も病院に連れて行ったりしてね。小児ぜんそくだったし、熱もすぐ出るし、体が弱くて。

引用元:スポニチ

と、おばあちゃんが当時のことを明かされていました。

幼少期から支えてくれた祖父母

引用:スポニチ

橋本大輝さんのご両親はお2人とも教師をされていて忙しかったため、おじいちゃん、おばあちゃんが身の回りの世話や食事などをサポートしてきました。

橋本大輝さんは特におばあちゃん子で、

子どもの頃一番好きだった食べ物は、おばあちゃんが作る混ぜごはんです

とインタビューで明かし、

味はうまく説明できないんですけど、タケノコとキノコとゴボウとか鶏肉とかが入ったもので、それを食べる時は茶碗じゃなくてどんぶりにしてもらっていて、おにぎりにして練習に持っていくこともありました。

あの味は何も越えられないと思います。

引用元:パパしるべ

と、思い出の味を語られました。

おばあちゃんが作ってくれた混ぜごはんを食べて、練習に励んでいたのですね。

小学生時代

橋本大輝さんは

成田市立高岡小学校

に通っていました。

高岡小学校は、2014年に閉校しています。

橋本大輝さんは、佐原ジュニア体操クラブで基礎をひたすら練習し、練習後は毎日長時間のトレーニングをしていたそうです。

小学生時代は怪我が多く、

病院に行くことも多かったのですが、何度もツラいなと思うこともありました。

そんな時は、ケガしている時にこそ周りの選手がやっている技などを見て、『あの技をやりたい』と考えながらやってきました。

引用元:パパしるべ

と話されています。

引用:東京新聞

橋本大輝さんは、テレビ中継をしている体操の主要大会を録画して、解説者のコメントを覚えてしまうくらい繰り返し見ていたそうです。

そこには、順天堂大学で指導を受けることになる冨田洋之さん鹿島丈博さんの姿がありました。

また、「内村航平さんは小さい頃からの憧れの選手だ」と公言しています。

橋本大輝さんは、金メダリストの方々の演技を見て勉強していたのですね。

中学時代

橋本大輝さんは、体操のために学区外の

香取市立佐原中学校

に通っていました。

学区外だったため、おじいちゃんが学校まで送迎してくれていたそうです。

中学生になると兼業農家であるおじいちゃんおばあちゃんを積極的に手伝い、田んぼに出て見よう見まねで農作業をします。

30kgのお米の袋を運ぶことで、足腰が鍛えられ体操で必要な肉体作りとなりました。

中学校の部活は体操部に入部し、佐原ジュニア体操クラブと掛け持ちをして、体操漬けの日々を過ごします。

中学時代は全国大会に出場するものの良い成績を残すことはできず、無名の選手でした。

お父さんは、橋本大輝さんの試合には小さなものでも駆けつけてくれたそうで、

僕のお父さんはあんまり『結果を出せ』とかいうタイプではなかったですが、試合に出るたびに、どんな小さな試合でも見に来てくれたので、それがうれしかったですし、見守ってくれているという安心感は演技にもつながるのかなと思っています。

引用元:パパしるべ

と、ご自身の想いを明かされました。

高校時代

橋本大輝さんは

船橋市立船橋高等学校

に通っていました。

市立船橋高校は部活が盛んな高校で、サッカー、野球、陸上、体操、吹奏楽など、多くの部活が全国大会で活躍する強豪校として有名な高校です。

橋本大輝さんは、高校入学を機に佐原ジュニア体操クラブを辞め、体操部での練習に全力で取り組みます。

橋本大輝さんは、高校1年生の時に全日本ジュニア選手権に出場するものの結果は19位と、高校入学当初は今のようなトップ選手ではありませんでした。

体操部に入部した頃、神田総監督に、

倒立がきたないよ

と言われ、「トー立ち」(バレエのつま先立ち)を課題とし、足の指先を揃えて伸ばすことを意識した練習を行います。

また、壁倒立を毎日1分間して、技の美しさに磨きをかけました。

橋本大輝さんは、練習を何度も繰り返し、同じ練習時間の中で人よりたくさん体操器具に飛びかかっていたそうです。

その驚くほどの体力に、体操部の大竹監督は橋本大輝さんのことを「(体力)無限くん」と呼んでいました。

練習がしつこく、納得いくまでやり切る。こちらが止めないといけないほど。

引用元:東京新聞

と、当時の橋本大輝さんについて語り、

ライバル選手も応援する。他の選手の練習もよく見て励まし、互いを伸ばし競い合う。練習の雰囲気を良くする子だった。

引用元:東京新聞

とも明かされています。

監督からの課題練習と日々の莫大な練習量により、着実に実力がついた橋本大輝さんは、大会で徐々に好成績をおさめるようになりました。

高校3年生になると、努力が一気に花開きます。

キャプテンを任された橋本大輝さんは、高校3年生のインターハイにて団体優勝、個人総合2位を獲得します。

また、全日本ジュニア体操競技選手権では、団体、個人共に優勝を果たしました。

引用:Instagram

現役の高校生が代表選手で出場するのは、白井健三さん以来史上2人目となった世界体操競技選手権大会では、団体で3位、個人では鉄棒で4位に入賞します。

体操個人総合スーパーファイナルでは、個人で総合優勝を勝ち取り、エース選手としての頭角を現しました。

大学時代

橋本大輝さんは

順天堂大学 スポーツ健康科学部

に通っていました。

前述した通り、順天堂大学では、アテネオリンピックの体操金メダリストの冨田洋之さんの指導を受けます。

引用:Instagram

入学したものの、コロナ禍で大学での練習がままならない中、橋本大輝さんはご自身で演技の方向性を決めてイメージを深めていたそうです。

大学での練習が再開すると、橋本大輝さんはそのイメージを実現してみせ、冨田洋之さんは驚いたといいます。

大学2年生の時に出場した全日本体操個人総合選手権、NHK杯体操選手権にて、個人総合で初めて優勝しました。

引用:Instagram

この実績から、橋本大輝さんは東京オリンピックの日本代表選手に選ばれます。

全日本体操種目別選手権の鉄棒決勝では、内村航平さんを制して優勝、幼少期から憧れて背中を追い続けてきた方を追い越すかたちとなりました。

東京オリンピックで金メダルを獲得

橋本大輝さんは、大学2年生の時に東京オリンピックに出場します。

引用:Number Web

東京オリンピックでは、個人総合・種目別鉄棒で金メダル、男子団体で銀メダルを獲得しました。

引用:Instagram

橋本大輝さんの金メダル獲得は、

  • 19歳で個人総合で金メダルを獲得したのは史上最年少
  • 種目別鉄棒でメダルを獲得するのは17年ぶり
  • 種目別鉄棒で37年ぶりに金メダルを獲得
  • 千葉県出身で複数の金メダルをオリンピックで獲得するのは初めて

という歴史的な快挙となりました。

橋本大輝さんはご自身のInstagramで、

5年前テレビでリオオリンピックを観戦し、いつか出たいと思う夢のような舞台でした。この5年間は誰よりも練習して、誰にも負けたくないと思って過ごしてきました。

引用元:Instagram

と、東京オリンピックへの想いを明かされています。

また、橋本大輝さんの地元の地域である成田市猿山の下総郵便局には、東京オリンピックで金メダルを獲得した偉業をたたえ、金色のポストが設置されました。

引用:成田市

2021年9月には、成田市市民栄誉賞を受賞されています。

オリンピック後も多くの金メダルを獲得

東京オリンピック後も、橋本大輝さんの活躍はとまりません。

大学2年生で出場した全日本学生体操競技選手権大会では、団体総合優勝、個人総合優勝、種目別鉄棒優勝を果たしました。

大学3年生の時にも様々な大会で優勝していますが、世界体操競技選手権にて個人総合優勝したことで、オリンピックと世界選手権の二冠を成し遂げます。

この快挙は内村航平さん以来で、日本で2人目の二冠となりました。

橋本大輝さんは、体操競技だけではなく大学での勉学にも力を入れ、大学3年生の時には授業の一環として母校である市立船橋高校で教育実習をされています。

引用:Instagram

大学4年生の時に出場したNHK杯体操選手権では、3連覇を成し遂げました。

同年の世界体操競技選手権では、団体総合優勝、個人総合優勝、種目別鉄棒優勝を果たします。

引用:スポーツナビ

団体総合は2015年以来の優勝個人総合優勝は史上4人目の連覇種目別鉄棒は唯一の15点台を出して優勝し、東京オリンピックに続き世間からも注目される大会となりました。

そして、東京オリンピックでの優勝、世界体操競技選手権で2連覇したことにより、2023年12月の時点で唯一パリオリンピック体操日本代表に内定しています。

橋本大輝さんは、2024年3月に順天堂大学を卒業されました。

引用:Instagram

そして、同年4月にセントラルスポーツ株式会社に入社されています。

引用:Instagram

セントラルスポーツに入社するに当たり、橋本大輝さんはご自身のInstagramにて、

僕は、日本や世界でもっともっと多くの子どもたちが体操に触れ、楽しさを知ってもらえる様な状況が増える事を願っています。その為にも「人の心を動かす」演技をして、沢山の方に体操競技を応援して貰える様に頑張りますので宜しくお願い致します。

体操に興味のある子供たち!セントラルスポーツでお待ちしています!!

引用元:Instagram

と、意気込みを投稿されました。

2024年4月に開催された全日本体操個人総合選手権では、予選と決勝でトップの点数をとり、合計176.164点で完全優勝を成し遂げます。

引用:Instagram

この優勝で、全日本体操個人総合選手権4連覇を果たし、内村航平さんが2017年に10連覇した以来の快挙となりました。

橋本大輝さんは、4連覇した後のインタビューで、

1番の目標はパリで金メダルをとることなので、そこに向けて自分が何をするべきなのかっていうのを、あとで映像を振り返って、客観的に意識できるポイントがあれば、さらに重点的にやっていきたいと思います。

引用元:Olympics

と、パリオリンピックへの意気込みも話されました。

2024年5月に行われたNHK杯体操選手権でも橋本大輝さんの活躍が楽しみでしたが、右手の中指を痛め棄権しています。

まとめ

今回は橋本大輝さんについてまとめました。

  • 6歳から体操をはじめる
  • 幼少期から人より何倍もの練習とトレーニングを行う
  • 高校3年生から努力が実を結び、エース選手として頭角を現す
  • 東京オリンピックでは、個人総合・種目別鉄棒で金メダル、男子団体で銀メダルを獲得する
  • 数々の大会で金メダルを獲得する
  • 世界体操競技選手権で2連覇する
  • 全日本体操個人総合選手権で4連覇を果たす

ということがわかりました。

座右の銘が「努力に勝る天才なし」だという橋本大輝さんは、まさに努力の人です。

幼少期から負けず嫌いで、ひたすら練習とトレーニングをしていた成果が、高校時代以降の大活躍につながったのですね。

これからも橋本大輝さんの活躍を応援したいと思います!

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