鍵山優真さんは、オリンピックや四大陸選手権など、数々の大会でメダルを獲得されています。
その功績には、父親でありコーチでもある、元オリンピック選手の鍵山正和さんの存在がありました。
今回は、鍵山優真さんの生い立ちについてまとめます。
鍵山優真のプロフィール
名前 | 鍵山 優真(かぎやま ゆうま) |
愛称 | ゆまち |
生年月日 | 2003年5月5日 |
年齢 | 21歳(2024年5月現在) |
血液型 | O型 |
身長 | 161cm |
出身 | 神奈川県横浜市 |
所属クラブ | オリエンタルバイオ、中京大学 |
家族構成 | 父、母、姉、本人、弟 |
鍵山優真さんは5人家族という噂がありますが、お母さん、お姉さん、弟についての発言や情報、目撃談などがありませんでした。
鍵山優真さんはお父さんと2人で暮らしていたそうなので、ご両親は離婚されているのではないかと思われます。
名前の由来
鍵山優真さんの名前はご両親がつけられました。
「優しく真っすぐな人になってほしい」という想いが込められているそうです。
鍵山優真の生い立ち
鍵山優真さんの生い立ちをまとめました。
幼少期
鍵山優真さんは、幼い頃はマイペースでおとなしい子どもだったそうです。
お父さんの仕事の関係で、幼少期は富山県や長野県の軽井沢に住んでいました。
父・鍵山正和は元オリンピック選手
鍵山優真さんのお父さんは、元オリンピック選手の鍵山正和さんです。
アルベールビルオリンピック、リレハンメルオリンピックに出場し、日本人で初めて4回転ジャンプを大会で成功させた方でもあります。
お父さんは、2005年から富山スケートセンターにて専属インストラクターをされていましたが、そこに幼い鍵山優真さんを連れて行ったことが、スケートをはじめるきっかけとなりました。
5歳からスケートをはじめる
鍵山優真さんは、5歳から本格的にスケートをはじめています。
鍵山優真さんは、お父さんの職場である富山スケートセンターについていき、最初は自由に滑っていたそうです。
そこでスケートの楽しさを知り、お父さんに「スケートをしたい」と伝えます。
鍵山優真さんは5歳からお父さんの指導を受け、親子二人三脚で練習を重ねてきました。
一番身近で信頼しているお父さんがコーチをしてくれるのは、心強いでしょうね。
幼少期は、転ぶのが怖かったためジャンプはあまり好きではなく、スピンを好んで練習していたそうですよ。
小学校時代
鍵山優真さんは小学2年生の時に軽井沢に引っ越し、
軽井沢町立軽井沢中部小学校
に通っていました。
小学校に通いながら、軽井沢風越公園アイスアリーナで毎日のように練習に励みます。
幼い頃から踊ることが大好きだった鍵山優真さんは、スケートの練習と共に、ジャズダンスも習っていたそうです。
小学校高学年の頃は、トップを走る同年代の選手達について、
自分はこういう人たちに追いつけるんだろうかと思っていた。
引用元:日本経済新聞
と心境を明かされています。
しかし、自分よりも強い選手がいることで、より一層意欲的に練習するようになったそうです。
中学校時代
鍵山優真さんは、中学1年生の時に出身地である神奈川県横浜市に引っ越し、
横浜市立六角橋中学校
に通っていました。
体を動かすことが大好きな鍵山優真さんは、中学校時代には友達と休み時間にサッカーをして遊ぶことが多かったそうです。
競技では、日々の努力が実を結び始めます。
中学2年生の時に、第38回全国中学校スケート大会に出場し、総合で2位を獲得しました。
また、中学3年生では、国際大会初出場のアジアフィギュア杯で優勝します。
中学校のクラスの仲間たちは、鍵山優真さんの大会での活躍を聞き、「おめでとう」「お疲れ様!」など、声をかけていたそうで、
気にかけて声をかけてくれるのが本当に嬉しい。
引用元:タウンニュース
と話されていました。
また、負けず嫌いな一面もあり、
自分が休んでいるときにも、ライバルたちは成長していると思うと、練習しなきゃという気持ちになる。
引用元:タウンニュース
と話されています。
父が脳出血で倒れる
鍵山優真さんは、5歳の時からお父さんである鍵山正和コーチの指導を受けてきましたが、2018年にお父さんが脳出血で倒れます。
それからは振付師の佐藤操さんと、お父さんのアドバイスを思い出しながら練習に励みました。
嫌でも自分一人でなんとかしなきゃいけなかった。
引用元:東京新聞
と、鍵山優真さんは当時の心境を明かされます。
脳出血で左半身に麻痺が残りましたが、半年後にリンクに戻り指導が再開されると、鍵山優真さんはたくましく成長されていたそうです。
高校時代
鍵山優真さんは
星槎国際高等学校 横浜鴨居学習センター
に通っていました。
星槎国際高校は、通信制の私立の共学高校です。
卒業生には、張本美和さん(卓球)、宮澤ひなたさん(サッカー)、本田仁海さん(野球)、菅原小春さん(ダンサー)など、数々の著名人がいらっしゃいます。
鍵山優真さんはここでついに頭角を現し、高校1年生で出場した大会では数々のメダルを獲得しました。
全日本ジュニア選手権では、ライバルである佐藤駿さんをおさえ、初の金メダルを手にします。
そして、全日本選手権では初めての銅メダルを獲得、高校1年生の入賞は24年ぶりで、快挙を成し遂げました。
また、ローザンヌユースオリンピックでは金メダルを、四大陸選手権ではシニアの主要な国際大会では初めて銅メダルを獲得しています。
そして、初めて出場した世界ジュニア選手権では、銀メダルとなりました。
高校2年生の時には、世界選手権に初出場し、銀メダルを手にします。
鍵山優真さんは、高校3年生の10月にオリエンタルバイオ株式会社と所属契約を結び、
この度、フィギュアスケート界に多大なる応援をいただいているオリエンタルバイオ様と所属契約を結ばせていただくことになり大変光栄に思います。世界中の人々に感動を届けられるスケーターになれるように努力を続けます。
引用元:PR TIMES
と、発表されました。
そして、夢の舞台である北京オリンピックに出場します。
高校3年生で出場した北京オリンピックでは、日本のフィギュアスケート史上最年少となる銀メダルを獲得しました。
鍵山優真さんは、試合後のインタビューで、
オリンピックという舞台をずっと目指して頑張ってきた。その結果が今日、表れたんじゃないかなと思います。
(オリンピックを)楽しまなきゃ損する。初めてなので、何事も楽しんでいきたいなという気持ちがある。
引用元:ハフポスト
と、胸の内を明かされました。
左半身に麻痺が残るお父さんをいつも気遣いながら支えてきた鍵山優真さんは、北京オリンピックでも同じようにサポートしていたそうです。
5歳の頃から努力を積み重ねてきた結果、夢の舞台であるオリンピックで銀メダルを獲得、ご本人はもちろんお父さんもさぞかし嬉しかったでしょうね。
親子二人三脚で掴んだ銀メダルではないでしょうか。
その後、鍵山優真さんは無事高校を卒業され、中京大学に進学するため拠点を愛知県豊田市にうつします。
大学時代
鍵山優真さんは
中京大学 スポーツ科学部
に通っています。
大学1年生では、左足首の負傷のため、欠場が相次ぎました。
お父さんである鍵山正和コーチは、日々の練習について、
怪物選手たちと肩を並べていくためには怪物級の練習をしなきゃいけない。もちろん優真にも言ったんですけど、誰が見ても真似できないっていうぐらいまで練習をしていかないと追いつけない。大事なのは3番手を狙わないってことです。3番手を狙っていてはやっぱりそこがてっぺんになってしまうので。
引用元:NHK
と、鍵山優真さんに常々話していたといいます。
憧れて背中を追い続けてきた羽生結弦さん、宇野昌磨さんと今は同じ舞台に立って競い、彼らよりも順位を上げるために「怪物級の練習」をしてきたのですね。
その練習が着実に実を結び、鍵山優真さんは素晴らしい成績をおさめます。
大学2年生で出場したNHK杯では、宇野昌磨さんと僅差で優勝を果たしました。
また、初めてのグランプリファイナルでは銅メダルを獲得、全日本選手権では初の銀メダルを手にします。
そして、2024年2月、大学2年生で出場した四大陸選手権では、 初の金メダルを獲得しました。
鍵山優真さんはお父さんについて、
父はもともと現役で選手をやっていたので、一番近くで昔の体験談が聞けるのですごくいい。先生を変えようと思ったことは一度もない。ずっと一緒にスケートをしてきたので自分が成長した姿を大舞台で見せられるように。これだけ頑張って成長してきたんだよっていうのを見せたいなって思います。
引用元:NHK
と、想いを語られました。
これからも大舞台で活躍する姿を、お父さんに見せ続けていくのでしょうね。
まとめ
今回は、鍵山優真さんについてまとめました。
- 5歳からスケートをはじめる
- 父・鍵山正和さんは、元オリンピック選手で鍵山優真さんのコーチ
- 父が脳出血で倒れる
- 全日本選手権で銅メダルを獲得、高校1年生では24年ぶりの表彰台となる
- 北京オリンピックで日本のフィギュアスケート史上最年少となる銀メダルを獲得
- 国内外の大会で数々のメダルを獲得する
ということがわかりました。
鍵山優真さんは、お父さんである鍵山正和コーチと二人三脚で努力を積み重ね、数々の輝かしい成績をおさめてこられました。
先日宇野昌磨さんが現役選手を引退されましたが、羽生結弦さん、宇野昌磨さんに引き続き、フィギュアスケート界を牽引してくれることと思います。
これからの鍵山優真さんの更なる活躍を楽しみにしています!
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