紀平梨花の生い立ち!ずば抜けた身体能力はヨコミネ式教育法で培った!

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紀平梨花の生い立ち!

紀平梨花さんは、数々のメダルを獲得し記録を打ち出してきたフィギュアスケート選手です。

小学6年生の時に書いた卒業文集で、「必ずオリンピックで優勝する」と断言されていましたが、紀平梨花さんはどのような子ども時代を過ごし、どのようにスケートと向き合ってきたのでしょうか。

今回は、紀平梨花さんについてまとめました。

目次

紀平梨花のプロフィール

引用:Instagram
名前紀平 梨花(きひら りか)
生年月日2002年7月21日
年齢21歳(2024年5月現在)
血液型O型
身長155cm
出身兵庫県西宮市
所属トヨタ自動車(所属クラブ)、IMG(マネジメント)
家族構成父、母、姉、本人

紀平梨花さんのお姉さんは、ダンサーの紀平萌絵さんです。

大人になった現在も4歳年上のお姉さんと仲が良く、お姉さんのSHOWROOM配信に出演して話題になりました。

引用:X

お姉さんもスケートを習っていましたが、お互い別々の道を選び、活躍されています。

紀平梨花の生い立ち

引用:Instagram

紀平梨花さんの生い立ちをまとめました。

幼稚園時代

紀平梨花さんは、西宮市にある

広田幼稚園

に通っていました。

広田幼稚園では、「ヨコミネ式教育法」が導入されています。

横峯さくらさん(女子プロゴルファー)の叔父の良文さんが主張するメゾットで、子どもの可能性や能力を引き出し自分の力で伸ばして自立を促していく教育です。

体育、音楽、学習に力を入れている幼稚園ですが、紀平梨花さんの身体能力はここで培われました。

また、走るのがなにしろ速く、リレーでは大活躍だったそうです。

引用:X

紀平梨花さんは満3歳児で入園し、広田幼稚園で4年間教育を受けました。

3歳でスケートに出会い、5歳からスケート教室へ

幼い頃から運動神経がずば抜けて良かった紀平梨花さんは、3歳の時に、お母さんとお姉さんと一緒にスケートリンクに遊びに行きます。

引用:マイナビニュース

それからも度々リンクに遊びに行き、5歳の時にスケート教室に入会しました。

当時のことを、紀平梨花さんはご自身のInstagramで明かされています。

私とスケートの出会いは3歳の時。
その時はとにかくもっと上手くなりたい一心で練習をしていました。
そこからスケート教室に入り、学校の前に朝練、早退し一般滑走、夜練と小さい頃からたくさん練習を積んできました。

引用元:Instagram

幼少期は他にも体操、バレエ、ダンス、水泳、ピアノ、エレクトーンの習い事をしていて、スケートもその中のひとつでした。

ある日、スケート教室の先生から、「(バレエの)トゥシューズを履かないで」と言われ、バレエかスケートどちらか選ばなくてはいけなくなります。

そこで、紀平梨花さんは、

バレエがそこまで好きではなかったのと、ジャンプができるようになったりするのが好きで、スケートかなと思いました。

引用元:Number Web

と、話されています。

小学校時代

紀平梨花さんは

西宮市立大社小学校

に通っていました。

幼稚園時代から走るのが速かった紀平梨花さんですが、小学校でもその実力を遺憾なく発揮します。

運動会のクラス対抗リレーでは、第一走者とアンカーを両方担当することもあり、その活躍を期待されていたそうです。

また、運動会当日に微熱があり、無理をして学校に行くと、他のクラスの男子に「紀平が来てしまった」と言われたというエピソードもありました。

他のクラスの男子も一目置いていたなんて、紀平梨花さんはどれだけ足が速かったのでしょう!

小学生になると、スケートの個人レッスンも行うようになり、毎日長時間の練習に励みます。

お父さんは試合や選手、スケートクラブについて調べ、お母さんは短大時代に栄養学を学んでいたことから食事面のサポートをしてくれたそうです。

紀平梨花さんは、小学校時代にNHK杯のフラワーガールを務めたことがあり、忘れられない思い出になっていました。

そのことを、卒業文集で将来の夢と共に書かれています。

NHK杯の花束ガールというものに呼ばれた。この前までの自分にとって、とても遠く、あこがれの仕事だった。

将来、私はその場所で花束をたくさんもらえる選手になる。

引用元:東スポWEB

このように将来なりたい自分を断言している紀平梨花さんですが、これが現実のものとなります。

4年後の高校1年生の時に初出場したNHK杯で、優勝したのです。

フリーの演技の後に、たくさんの花束がリンクに投げ入れられ、卒業文集でご自身が書いた「夢」は現実になりました。

また、卒業文集にはこのようなことも書かれています。

必ず、オリンピックで優勝して、コーチになる

引用元:東スポWEB

将来の夢を断言し、「花束をたくさんもらえる選手」になった紀平梨花さんは、きっとこの「なりたい自分」も自らの手で掴み取ることでしょうね。

中学時代

紀平梨花さんは

西宮市立上ヶ原中学校

に通っていました。

紀平梨花さんは、関西大学カイザーズフィギュアスケートクラブに所属し、大学のリンクで練習に励みます。

中学校が自宅から遠かったため、通学や練習時間のことを考えご両親は西宮市内の自宅を売却し、中学校と大学のリンクに通いやすい場所に引っ越します。

莫大な練習量が実を結び、紀平梨花さんは中学2年生の時にスケート連盟の強化指定選手に選ばれました。

また、中学2年生の時に初出場したジュニアグランプリシリーズでトリプルアクセルを成功させ、女子史上最年少記録(14歳65日)を更新します。

同時に、6種類8個のトリプルジャンプも女子史上初めて成功させ、優勝しました。

中学3年生で出場したジュニアグランプリファイナルでは総合4位という結果でしたが、トリプルアクセル、トリプルトウループを女子史上初めて成功させます。

引用:スポーツナビ

その後の全日本選手権では銅メダルを獲得し、全日本選手権大会新人賞も大会終了後に授与されました。

この活躍から、メディアで紀平梨花さんを「スーパー中学生」と紹介し、世間からも注目を集めます。

引用:Instagram

全日本選手権で3位となり、平昌オリンピック出場への期待もされていましたが、中学3年生という年齢が日本代表の資格を得られず、選出されませんでした。

高校時代

紀平梨花さんは

N高等学校

に通っていました。

N高校は、私立の通信制の共学高校です。

卒業生には、タレントの池田美優さん、テニス選手の望月慎太郎さん、女流囲碁棋士の上野愛咲美さんなどがいらっしゃいました。

紀平梨花さんの快進撃は、高校生になってもとまりません。

前述した通り、紀平梨花さんは高校1年生の時に出場したNHK杯で、日本女子歴代最高点で初優勝します。

フリーの演技の後、小学校の卒業文集で書いた「私はその場所で花束をたくさんもらえる選手になる」ということば通り、たくさんの花束が投げ込まれました。

引用:デイリースポーツ

紀平梨花さんの優勝は、日本のみならず海外でも大きな話題となり、ザキトワ選手など多くのフィギュアスケート選手が活躍する強豪ロシアでも衝撃を与えています。

そして、その後に出場したグランプリファイナルでは、平昌オリンピックで金メダルを獲得したザギトワ選手をおさえ、見事優勝しました。

引用:テレ東スポーツ

紀平梨花さんは、シニア1年目でグランプリファイナル優勝という偉業を、浅田真央さん以来13年ぶりに達成します。

高校2年生の時には、全日本選手権にて初優勝しました。

四大陸選手権でも優勝し、史上初の2連覇を成し遂げます。

そして、高校3年生の9月にマネジメント契約を「IMG」と結び11月には嘱託社員として「トヨタ自動車」に入社しました。

高校3年生の全日本選手権では2連覇を達成、4回転サルコウを大会で初めて成功させました。

スケートと学業を両立させていた紀平梨花さんは、高校の卒業式にオンラインで出席します。

引用:Instagram

ご自身のInstagramでN高校の制服を着た写真が投稿されていましたが、卒業をお祝いする言葉と共に、「制服姿がかわいい」というコメントも多く寄せられていました。

大学時代

紀平梨花さんは

早稲田大学 人間科学部通信教育課程

に通っています。

eスクールと呼ばれる早稲田大学の通信教育課程では、羽生結弦さんも学ばれていました。

大学1年生の7月に右足距骨疲労骨折を患い、グランプリシリーズ2試合と全日本選手権の出場を断念します。

そのため、夢の舞台であった北京オリンピックの出場はできませんでした。

大学2年生の9月に、名古屋で行われた中部選手権に出場し、525日ぶりに大会に復帰します。

引用:日刊スポーツ

紀平梨花さんの復帰を心待ちにしていたファンの方々は、さぞかし嬉しかったことでしょう!

大学3年生になった2023年はスケートカナダに出場予定でしたが、右足距骨疲労骨折を完治させるため、欠場することが発表されました。

2026年ミラノオリンピックの夢に向け、今年は怪我の完治を優先しようと、コーチとミーティングを重ね決断しました。

引用元:日本スケート連盟

現在も怪我の完治のため、休養とトレーニングに励まれています。

紀平梨花さんがインタビューで「フィギュアスケートとは」と尋ねられると、

命懸けの存在というくらい(大切なもの)

引用元:Number Web

と答えられていました。

幼少期から莫大な努力をしてきた紀平梨花さんの姿が目に浮かぶような返答で、益々怪我の完治を願うと共に、2026年のミラノオリンピックで活躍する姿を是非応援したいという気持ちになりました。

まとめ

今回は紀平梨花さんについてまとめました。

  • 3歳でスケートに出会い、5歳からスケート教室に通う
  • 紀平梨花の身体能力はヨコミネ式教育法」で培われた
  • 小学校の卒業文集で書いたことが、4年後に現実となった
  • 女子史上初トリプルアクセル・トリプルトウループが成功
  • 6種類8個のトリプルジャンプも女子史上初めて成功
  • 中学3年生で「スーパー中学生」と注目を集める
  • 四大陸選手権で史上初の2連覇を成し遂げる
  • 大学1年生の7月に右足距骨疲労骨折を患い、現在も完治のため休養中

ということがわかりました。

紀平梨花さんのストイックでたゆまない努力は、「必ずオリンピックで優勝してコーチになる」という夢も現実になることと思います。

紀平梨花さんの怪我が完治されることを願い、復帰後また活躍される日が来るのを楽しみに待ちたいと思います!

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