元木咲良さんは、国内外で活躍するレスリング選手です。
大学に進学してから更に成績が伸びた元木咲良さんは、幼少期からどのようにレスリングと向き合ってきたのでしょうか。
元木咲良さんの生い立ちをまとめました。
元木咲良のプロフィール
名前 | 元木 咲良(もとき さくら) |
生年月日 | 2002年2月20日 |
年齢 | 22歳(2024年6月現在) |
血液型 | 非公表 |
身長 | 160cm |
出身 | 埼玉県 |
所属事務所 | 育英大学 助手 |
家族構成 | 父、母、本人、妹 |
元木咲良さんは4人家族です。
お父さんの元木康年さんは、シドニーオリンピックのグレコローマンレスリングに出場した経験があります。
現役引退後は全日本のコーチを長く務め、元木咲良さんが通っていた埼玉栄高校などでレスリングの指導もされているそうです。
妹の日陽里(ひより)さんもレスリング選手で、現在は育英大学に通っています。
元木咲良の生い立ち
元木咲良さんの生い立ちをまとめました。
幼少期・小学生時代
元木咲良さんは、3歳から埼玉県の「和光クラブ」でレスリングをはじめます。
お父さんの影響を受けてはじめたレスリングですが、練習を強要されることはなかったそうです。
伸び伸びとやらせてもらいました。強いられていたら、レスリングを嫌いになっていたと思う。レスリングが好きになれたのは父のおかげです。
引用元:日本レスリング協会公式サイト
と、インタビューで話されました。
元木咲良さんは、小学4年生から全国大会に出場しています。
小学4年生の時は、全国少年少女選手権28kg級で3位、全国少年少女選抜選手権30kg級で2位に入賞しました。
小学5年生では、全国少年少女選手権33kg級で3位、全国少年少女選抜選手権33kg級で優勝を果たします。
小学6年生の時には、全国少年少女選手権33kg級で3位となり、小学生時代の全国大会では何度も表彰台にのぼってきました。
元木咲良さんは負けず嫌いで、大会で負けると悔しくて2日間も泣いていたそうです。
泣いた後は練習に打ち込んでいたということなので、元木咲良さんの強さは、ひたむきな練習によるものかもしれませんね。
中学生時代
元木咲良さんは
埼玉栄中学校
に通っていました。
埼玉栄中学校は私立の中高一貫校で、スポーツが盛んな学校としても有名です。
元木咲良さんは、中学時代も数々の大会で表彰台にのぼります。
中学1年生の時に出場した、全国中学選抜選手権37㎏級では2位を獲得しました。
中学2年生では、全国中学生選手権37㎏級で2位、全国中学選抜選手権37㎏級でも2位に入賞します。
中学3年生の時には、ジュニアクイーンズカップ40kg級で2位、JOC杯カデット40kg級で3位、全国中学選抜選手権40kg級で3位となりました。
高校時代
元木咲良さんは、内部進学で
埼玉栄高等学校
に通っていました。
埼玉栄高等学校はスポーツの強豪校で、元木咲良さんのお父さんがレスリング部でコーチとして指導されています。
高校1年生の時に出場した、ジュニアクイーンズカップ43kg級では3位、JOCジュニアオリンピックカップ43kg級で2位、インターハイ46kg級では3位に入賞しました。
そして、高校2年生の時にジュニアクイーンズカップ46kg級で優勝します。
この頃から、元木咲良さんの意識が変わりはじめました。
全国大会で優勝する経験をした元木咲良さんは、
優勝する感覚がわかった
と話されます。
その後、日本代表として出場した世界カデット選手権46kg級でも優勝を果たしました。
今まで頑張ってきてよかったな、って思え、周りも泣いて喜んでくれたりして、支えてくれる人がたくさんいるんだなと、初めて思いました。もっと努力したい、オリンピックを目指したいと思いました。
引用元:日本レスリング協会公式サイト
と、明かされています。
高校2年生のインターハイ47kg級では3位、高校3年生で出場した全日本女子オープン選手権53kg級は2位に入賞しました。
元木咲良さんは、高校時代に膝の怪我で手術もしています。
全国・世界での優勝経験と、膝の手術で思うように体が動かせない事態とで、元木咲良さんの高校時代は様々な葛藤があったのではないでしょうか。
大学時代
元木咲良さんは、高校時代に出稽古で通っていた
育英大学
に進学します。
元木咲良さんは、出稽古の際、柳川美麿監督の熱心な指導に心を打たれたそうです。
また、高校時代にインターハイで優勝できなかったことから、
レスリングはもういいかな
と諦めかけていた時に、柳川監督にスカウトされ、育英大学の進学を決断しました。
元木咲良さんは、高校時代は減量して大会に臨んでいたそうですが、柳川監督に6kg重い階級に挑戦してみるようアドバイスを受けます。
高校の時は6kgくらい減量して53kg級に出場していたんです。けがが多くて…。柳川先生から『減量しないで体を作り、自分に合った階級でレスリングした方がいい』とアドバイスされ、上げることにしました。
引用元:日本レスリング協会公式サイト
大学進学後はじめての大会だった東日本学生選手権・女子の部では、59kg級で出場します。
減量していた時は、最後に体力がなくなってしまって、負けている場面で取りに行けなかった。
引用元:日本レスリング協会公式サイト
と話していた元木咲良さんですが、今大会では高校時代から3階級上げた出場で、見事優勝を果たします。
試合直後も息が上がることもなく、
最後までばてることなく動けた。育英大に入ってからすごく練習量が増えたのもあるとは思うんですけど、この階級が自分の体に合っているな、と思いました。
引用元:日本レスリング協会公式サイト
と話されています。
元木咲良さんは、相手のかかとにタックルを入れる「ローシングル」を得意としていますが、相手の首に手をかけ頭を押してバランスを崩す「アリエフ」という技を、育英大学で習得します。
「アリエフ」を教えられる日本の指導者は少なく、扱える選手も少ないそうです。
元木咲良さんは、自分の体に合った階級と、「アリエフ」と「ローシングル」の必勝技で、国内外の大会で輝かしい成績をおさめていきます。
大学2年生では、ジュニアクイーンズカップ57kg級で優勝、全日本選抜選手権57kgで2位、東日本学生選手権・女子の部59kg級で優勝しました。
順調に成績を伸ばしていた元木咲良さんですが、東日本学生選手権を終えて7月に、全十字靱帯の断裂で2回目の膝の手術をすることになります。
同時に肩も故障しており、
心が折れかけた
そうなのですが、
咲良以外誰もあきらめてないよ
とお父さんに言われたことで、前を向くことができました。
手術後競技から離れていましたが、お父さんのことばに支えられ、復帰に備えます。
復帰後の大学3年生では、ジュニアクイーンズカップ(U20)59kg級、全日本選抜選手権59kg級、U20世界選手権59kg級で見事優勝を果たしました。
そして、全日本選手権では62㎏級で出場し、尾﨑野乃香さんを決勝で破り優勝します。
これにより、国際大会に62㎏級の日本代表として出場できるようになりました。
ザグレブ・オープン62kg級でも優勝し、国内外の成績から、オリンピックでのメダル獲得選手の候補として注目を集めます。
大学4年生では、全日本選抜選手権62㎏級に出場し、優勝しました。
そして、世界選手権で62㎏級に出場して2位を獲得し、パリオリンピック代表に内定します。
お父さんはインタビューで、
自分が代表になれた時以上にうれしく、涙が込み上げた
引用元:山形新聞
と話されました。
2024年3月には、育英大学を卒業されます。
4月からは育英大学で助手として競技を続けることになりました。
後輩や柳川監督、同じく助手でパリオリンピック代表の櫻井つぐみさんと共に練習に励みます。
まとめ
今回は元木咲良さんについてまとめました。
- 3歳からレスリングをはじめる
- 小学生時代から、全国大会で表彰台にのぼる
- 高校2年生の時に全国大会で優勝した経験から、オリンピックを目指すようになる
- 育英大学入学後、自分の体に合った階級で大会に出場し、優勝を重ねる
- 「アリエフ」と「ローシングル」の必勝技で、試合に勝つ
- パリオリンピック代表に内定する
ということがわかりました。
負けず嫌いでひたむきに練習を重ねてきた元木咲良さんは、育英大学で柳川監督と出会い、自分の体に合った階級で試合に臨むようになってから、更に強さが増しています。
習得した「アリエフ」と得意技の「ローシングル」で、これからも活躍し続ける元木咲良さんを応援していきたいと思います!
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