山下杏也加の生い立ち!FWからKPへポジション移動で辞めたいと思った過去

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山下杏也加 生い立ち

なでしこジャパンの守護神とも言われている山下杏也加(やました あやか)さん。

ゴールキーパーとして沢山の活躍をしていますが、どうしてサッカーをするようになったのでしょうか?

今回は山下杏也加さんの生い立ちについて取り上げます。

目次

山下杏也加のプロフィール

引用:JFA.jp
名前山下杏也加(やました あやか)
誕生日1995年9月29日
年齢28歳(2024年6月時点)
血液型B型
身長170cm
出身東京 足立区
所属チームINAC神戸レオネッサ→海外移籍
家族構成父、母、兄、山下杏也加さん、妹

山下杏也加さんはゴールキーパーをやる前はずっと攻撃のポジションであるフォワードをしていました。

ではなぜ、ゴールキーパーとしてなでしこの守護神とまで言われるようになったのでしょう。

山下杏也加の生い立ち

引用:サッカーマガジンWEB

それでは、山下杏也加さんの生い立ちを見ていきましょう!

山下杏也加の幼少期

引用:Instagram

山下杏也加さんの出身小学校は

足立区青井小学校

でした。

山下杏也加さん本人が公表していたわけではありませんが、

平成19年度にチームで児童・生徒褒賞を受賞しました。その時に足立区からここの小学校出身と記載がありました。

平成7年生まれ、足立区立青井小学校

引用:足立区 ADACHI CITY

山下杏也加さんは幼稚園に通っているお友達が水泳をやっていたため、一緒に年中(5歳)から水泳を始めました。

しかし、兄の影響で小学校2年生の時にサッカーに変更しました。

初めに所属したチームはKSC加平サッカースポーツ少年団というチームで男の子と一緒にプレーをしていました。

その後、小学校5年生の時に東加平キッカーズ女子に入団しました。

山下杏也加さんは点を取って褒められたいという気持ちがあった為、前線でずっとゴールを狙っていたそうです。

ですので、ポジションは自然とフォワードでした。

山下杏也加の中学時代

山下杏也加さんの出身中学校は、

青井中学校

でした。

中学も同じく、本人からの公表はありませんでしたが、小学校と同じく児童・生徒褒賞を受賞した時に足立区からここの中学校出身であると記載がありました。

青井中学校出身

引用:足立区 ADACHI CITY

青井中学校時代に足立LFC(レディースフットボールクラブ)で活躍。リーグ3部で優勝し、チームを2部に押し上げた。

引用:足立朝日

中学時代も変わらずサッカー漬けの毎日だったようです。

当時のことを聞くと「優勝したい」という気持ちより「楽しくプレーしていたら優勝していた」という気持ちだったそうです。

しかし、

意外にも中学でやめようと思っていたという。「自分からサッカーを引いたら何も残らないと思い、続けることにした。

引用:足立朝日

と途中でサッカーを辞めたいと思っていたこともあると話していました。

なぜ辞めたいと思ったのかは調べても出てきませんでした。

辞めなかったのは小学校2年生からずっとサッカーの毎日だったのでサッカーが体の一部のようになっていたのかもしれませんね。

山下杏也加の高校時代

引用:足立朝日

山下杏也加さんの出身高校は

村田女子高等学校(現・広尾学園小石川高等学校)

でした。

その後、村田女子高等学校(現・広尾学園小石川高等学校)に進学。

引用:FIFA

サッカーを辞めようと思った

小学校や中学校は楽しくサッカーをしていました。

推薦で高校に入学しましたが、同じポジションで自分より上手い選手がおり、そのせいで初めて試合に出れないという経験をしました。

そんな時に当時のコーチから「ゴールキーパーをしないか?」という話がありました。

最初は点を取って褒められたい山下杏也加さんにとってゴールキーパーにすごく抵抗があったとのこと。

ですが、「スーパー少女プロジェクト」に高校2年生で初めて選出されたときに意識が変わりました。

全国から選ばれた中学・高校生のゴールキーパーが招集されて、その中に自分より小柄ながらも技術のある選手がいたのです。

「この人にできるなら自分にもできるんじゃないか」という考えに変わりました。

ゴールキーパーも全く褒められないわけではないらしく、高校の新人戦のPK戦で、相手チームの最後の1人が蹴ったボールを自分が止めたときに、仲間が駆け寄ってきて褒めてくれたことを嬉しく感じたそうです。

それから「ゴールキーパーとして頑張ろう」と決心できました。

また、他にこのような理由でゴールキーパーをやっているとインタビューで答えていました。

正直な話、私は元々走ることが得意ではないので、比較的走る距離が少ないゴールキーパーになることで走ることへのストレスから解放されましたし、先輩の真似をしていたらだんだん褒められることも増えたのもあり、ゴールキーパーを続けられたんだと思います。

引用:足立区 ADACHI CITY

ポジションが変わっても自分の考え方次第で前向きにやっているのはすごいですね!

そして、高校3年生の時にU-19日本女子代表としてAFC U-19日本女子選手権に参加しました。

ここでの経験により、卓越したシュートストップだけでなく、ポジショニングやコーチングなどの技術を学び、さらなる成長を遂げるきっかけとなったそうです。

山下杏也加さんは元々、高校卒業したら一般企業に就職する予定でした。

しかし、「スーパー少女プロジェクト」での刺激やU-19日本女子代表としてAFC U-19日本女子選手権に参加したことでそこから本格的に「違う道を目指してもいいのかな」と思い、プロになる事を決意しました。

前向きになれなかったプロ1年目

山下杏也加さんはプロ1年目は日テレ・東京ヴェルディベレーザに入団しました。

最初はなでしこジャパンで沢山活躍する選手と同じチームだったので「こんなすごい人達と一緒に練習をしてもいいのか」とプレッシャーを感じていたそうです。

試合に出ていても自分がなぜ試合に出られるのか。自分の強みは何か。

それが分からず、前向きな気持ちで試合に出られませんでした

自信が持てるようになったのは、佐々木則夫元監督からなでしこジャパンに初めて選んでもらえた時でした。

引用:NHKニュース

その時はテレビ越しに見ていた選手と一緒にプレーできると思っていませんでした。

ただ選んでもらえた事によって「自分が世界の舞台をめざしても良いんだ」と感じる事ができました。

2015年にはなでしこジャパンのメンバーに初選出。2019年のフランスワールドカップでも、グループリーグと決勝トーナメントを含む4試合すべてにおいてスタメン出場を果たした。

引用:FIFA

山下杏也加さんは必ず結果を残しているのですごいですね!!

日テレ・東京ヴェルディベレーザに入団した時の苦悩

日テレ・東京ヴェルディベレーザ入った直後は、高校サッカーとの違いに戸惑いました。

スピード、判断、アイデア、タイミングも違うし、慣れるまで大変だった」と語っています。

もう一つ、苦労したことがあるそうで、ゴールキーパーはチームの中で唯一全体を見渡し試合の流れを客観的に見られるポジションになります。

守備だけでなく、フィールドの選手たちに大声で指示を出すのも重要な役目です。

実は山下杏山下杏也加さんは人見知りが激しく、喋るのが苦手なんだとか!

「ゴールキーパーになった時は何喋っていいかわからなくて。キーパーコーチに声、声、と何度も言われて。今は少しずつですけど出せるようになりました」との事です。

苦手な分野も努力しようという気持ちが素晴らしいですね。

山下杏也加の現在

山下杏也加さんは2021年〜2024年6月までINAC神戸レオネッサに入団していました。

しかし海外移籍の為、2023-24シーズンをもって退団する事が発表されました。

どこのチームに入団するかはまだ発表されていません。

このたび、海外に挑戦することを決めました。2019年フランスワールドカップを経験し、海外に今すぐにでも行ってサッカーしたいと言う欲が出てきました。

海外挑戦でさらにレベルアップしていきたいと思います。

引用:INEC 神戸レオネッサ

上記の文は山下杏也加さんからのコメントです。一部抜粋しています。

まとめ

山下杏也加さんの生い立ちについてまとめました。

  • 小学校2年生からサッカーを始めた
  • 最初のポジションはフォワードだった
  • 高校になり、ゴールキーパーになった
  • なでしこジャパンに選んでもらった事が山下さんの自信に繋がった
  • INAC神戸レオネッサに入団していたが海外移籍をする

という事が分かりました。

まだまだこれから海外で活躍するであろう山下杏也加さんを応援していきたいですね!

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